13)、明治39~43年に東京彫工会牙角部の会員であったことや小石川区林町42番地に居住したことが知られる(注14)。・中川寿雄「栗に銀杏椎の実牙彫置物」 個人蔵 〔図6〕法量未詳。「寿雄」の彫銘がある。彫技、彩色とも優れており、作者の高い技術が看取される。本作は、安藤緑山の秋果菜牙彫置物(葡萄、松茸、林檎、柿、干柿)と同じ木箱に収められている。また箱の貼紙墨書から、土方伯爵家(宮中顧問官など宮中職を歴任した土方久元〈1833~1918〉か)の旧蔵品とわかる。中川寿雄(生没年不詳)も金田兼次郎の門人であり(注15)、明治43~44年に東京彫工会牙角部の会員であったこと、小石川区林町43番地に居住したことが知られる(注16)。前出の中川竜英との血縁関係が推測される。・吉村竜渓「柿牙彫置物」 高円宮家蔵 〔図7〕法量未詳。「竜溪」の彫銘がある。吉村竜渓(生没年不詳)も金田兼次郎の門人で、明治39年に東京彫工会牙角部の会員であったこと、住所は京橋区大鋸町13番地(金田方)とあり金田兼次郎と同居していたことが知られる(注17)。本作は東京国立博物館本館の特集展示「根付と置物-象牙彫刻の伝統」(2016年6月)のために、高円宮家から貸与され展示された。・高木芳真「バナナ牙彫置物」 個人蔵 〔図8〕幅14.5cm 奥行3.0cm。「芳真」の彫銘がある。「桜桃牙彫置物」 清水三年坂美術館蔵 〔図9〕高21.5cm 幅14.5cm 奥行6.5cm。「芳真」の彫銘がある。「牡丹牙彫置物」 個人蔵 〔図10〕高26.0cm 幅45.0cm 奥行27.0cm。「芳真」の彫銘がある。高木芳真(生没年不詳)は、彫刻家の高橋寛芳の門人とされる(注18)。昭和12年(1937)・同13年刊行の『日本美術年鑑』には、曠技会の正会員として高木芳真の名前が掲載されている(注19)。曠技会は、大正13年(1924)に東京彫工会が解散して日本美術協会に合併した後、第七部の牙彫家が大像会を組織、その後に曠技会と改称したものである。なお緑山は東京彫工会の会員であったが、曠技会には名を連ねていない。―229――229―
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