鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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版世界地図は、現在静岡県立中央図書館に所蔵される『四大洲世界新地図帳』に同定されている(注4)。定信は銅版画技法が精緻な写実表現に向いていることを正しく理解し、地図制作など実学への応用を念頭に置いて、田善に習得を命じたと思われる。こうして田善は定信の周辺で、舶来した西洋版画や洋書と出会い、それらを研究しながら西洋由来の腐食銅版画技法を習得した。実際、田善の銅版画作品には西洋の風物を表した作品が一定数含まれている。そのため田善が参照した西洋版画の特定は先行研究でも関心が払われてきた。こうした研究においては、モデルとなった西洋版画を模倣し、銅板に線や点を刻むという意味で、「摸刻」という用語が使用されてきたが、さらに踏み込めば、この場合の模倣にはふたつのレベルがあったと考えるべきである。つまり、ひとつは図様や各モティーフの輪郭(形)の模倣であり、もうひとつは、輪郭に縁取られた形に量感や陰影を加えるための線刻あるいは点刻の模倣である。田善が生きた時代には、西洋由来の銅版画はまだ普及しておらず、技法研究が手さぐりで行われていたことをもう一度想起したい。目に映るものを線や点に変換して再構成する銅版画は、長らく郷里須賀川で生活していた田善にとっては、まったく未知の技法であっただろう。したがって田善は形の輪郭のみならず、量感や陰影を施すための線刻・点刻表現に対しても、当然関心を抱いて、舶載銅版画を研究したはずである。こうした摸刻の諸相については、菅野陽氏による網羅的な研究があり(注5)、筆者も同氏の考察に多くを負っている。本研究では菅野氏以降に明らかにされた原図と田善作品をもう一度精査し、線刻表現を軸に、田善の西洋版画受容の諸相を浮き彫りにすることを目的とする(注6)。2 最初期の銅版画作品:線刻による陰影・量感表現の模倣最初期に制作されたと思われる田善の銅版画作品としては、《キューピットと壺と人間》や《MASR》、《西洋街頭風景図(西洋古城図)》《洋人曳馬図》が挙げられる。このうち前2者は寛政10年(1798)に田善が定信から手本として提示された『四大洲世界新地図帳』に基づいて制作されたものである。《キューピットと壺と人間》は、弓と竿を手にした狩人(左)と有翼の天使(右)を挟んで、中央に巨大な壺を表した作品である。壺は一部破損しており、中から卵型の球体がこぼれ落ちている。これら3つのモティーフはそれぞれ『四大洲世界新地図帳』所収の《ウクライナ地図》、《リトアニア地図》、《ギリシア地図》、の余白装飾の一部から摂取されている(注7)。まったくコンテクストの異なる3つのモティーフを取り合わせ、改変を加えながら、ひと―236――236―

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