鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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つの画面に再構成している点に田善の創意が見られるが(注8)、陰影を出すための線刻表現についていえば、技術的に未熟な部分はあるものの、田善は原図に対して概ね忠実に模倣しようと努めている。一例として、狩人の衣類の表現に着目して原図と田善作品を比較すると〔図1、2〕、狩人が身に付けている裾の長い上着の右側と下半分は斜線を平行に刻み、一部にクロスハッチングを重ねて陰影を施している。また両足は左右それぞれで方向の異なる斜めのハッチングを刻み、同じく一部にクロスハッチングが用いられている。こうした線刻表現は原図を踏襲したものであり、原図でもほぼ同じ角度の斜線が平行に重ねられ、クロスハッチングの位置も両者で共通している。原図の忠実な模倣を通して、田善は線刻による陰影・量感表現を体得していったのだろう。こうした時期を経て、田善は線刻と点刻の両方において、西洋銅版画とは一味違った独自の表現様式を考案していったように思われる。3 田善の線刻表現:独自の線刻表現の萌芽田善が銅版画の試作にあたり、定信から手本として提示された西洋書籍としては『四大洲世界新地図帳』のほかに、ドイツの銅版画家ヨハン・エリアス・リーディンガーらによる『トルコの馬飾り・諸国馬図』があった。これは各国各地の馬と馭者を表した32図からなるシリーズであり、早稲田大学図書館所蔵本が定信の旧蔵品であったとみられる(注9)。田善がこのシリーズをもとに手掛けた銅版画は少なくとも4点確認されている(注10)。このうち《曳馬図》〔図3〕の制作時期は、前述した最初期の銅版画作品よりも下るものと筆者は位置づけている。興味深いことに、『トルコの馬飾り・諸国馬図』を写した、25図からなる田善の白描画が《銅版下絵曳馬図帖》(須賀川市立博物館)に収められている。白描画の中には背景を写し取ったものもあるが、多くは馬や人物の輪郭が肥痩のある軽やかな墨線で描かれており、原図に見られるような、緻密な線刻・点刻による量感・陰影表現は省略されている。《キューピットと壺と人間》では、技術的には未熟ながらも、原図の陰影を模倣しようとする田善のひたむきな姿勢がうかがわれたが、《曳馬図》の線刻表現には、意図的な創作の萌芽が見られるように思われる。原図となった《トランシルヴァニア馬》は繊細なハッチングと点刻を無数に重ね、頭部から臀部に至るまでの滑らか、かつ複雑な馬の量感を出すとともに、クロスハッチングによって陰影を施している〔図4〕。田善は原図を参考にし、クロスハッチングによって陰影を施しているが、馬の―237――237―

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