鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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胴体を頸部、胴・胸部、臀部の3つに大胆に分け〔図5〕、それぞれ異なる3種類の曲線によるハッチングを刻み、線刻・点刻を省略して白抜きにすることで、わずかな量感を表現しているに過ぎない。胴・胸部は一続きの曲線で表現されているため、平面的な印象を与える。写実性という観点に立てば、リーディンガーの方が量感や陰影が適切に表現されており、田善よりも格段に優れている。しかし、田善はそもそも写実性とは一味違った造形を追及しようとする意図が芽生えているように思われる。のびやかな曲線は一定の太さを保ち、かつほぼ同じ間隔で平行に配されている。こうしたハッチングは、馭者のズボン、地面、空の部分にも見られ、それらが呼応して画面全体に調和をもたらしている。抽象的とも言うべき、こうした造形感覚は田善の晩年の銅版画作品にも息づいている。たとえば有年紀の銅版画では最後の作品となる《陸奥国石川郡大隈瀧芭蕉翁碑之図》(文化11年)〔図6左〕においては、背景の山並みにハッチングが使用されている〔図6中央〕。山肌は濃淡の異なる2種類の線によって陰影と奥行きが表出されているが、線刻を平行曲線に絞ることで、主題となる大隈瀧の写実的な水流表現〔図6右〕を際立たせている(注11)。4 点刻表現の追及:人物の肌の表現すでに述べたように、《キューピットと壺と人間》において、田善は原図を忠実に模倣しようと努めている。しかし、面貌の表現〔図7〕は原図とは異なり、主に点刻によって、目や鼻など顔の各部を表現し、陰影を施している。この作品は5.9×8.1cm(プレートマーク)と小形の作品であり、顔の細かな表現を線で表現するには技術が未熟であったために、田善は線刻からやむなく点刻に変更したのだろう。田善はたとえば『四大洲世界新地図帳』所収の《ブランデンブルク辺境伯領地図》の余白装飾〔図11〕などから、点刻による面貌表現を学んだのかもしれない。しかし、円熟期の田善の銅版画では、顔や手足の柔らかな質感を点刻で表現した作例が散見され、その表現は、西洋銅版画とは一風変わった独自性が見られる。田善の《農耕女神像》〔図8〕は人物の肌の量感や陰影を、線刻で表現したものと点刻で表現したものが併存しており、田善が本作の製版を行った時期に、どの程度ふたつの技法に習熟していたか、またどの程度原図を受容したかが分かる作例として注目される。同作において、2人の人物を含む画面下部は『四大洲世界新地図帳』所収の《ブラ―238――238―

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