ンデンブルク辺境伯領地図》の余白装飾を原図としており、原図にならって人物の肌の量感や質感は点刻で表現されている。一方、2人の天使を含む画面上部は《ニスタット条約締結記念祭第二図》を原図とし、天使の肌もまた原図にならって、ハッチングで表現されている。なお本作の制作時期は不明だが、筆者は文化年間(1804~1818)前期に位置づけている。原図と田善作品を比較すると、天使に施された田善の線刻〔図10〕は、原図のフリーハンドによる緻密な曲線のハッチング〔図9〕を忠実に摸刻しようとしたためか、まるで天使の体毛のようにぎこちなく、画面の中でも異質な表現である。一方、下部の人物に施された田善の点刻は、技法こそ共通するが、原図とも一味違った独自のものである。女性の面貌に着目すると、原図〔図11〕では眉や上瞼など一部の輪郭に線を刻み、顔の量感は細かな点で、また右側面はハッチングで陰影が施されている。一方田善の場合〔図12〕は、目、鼻、口などすべての輪郭に線を引き、原図よりも細かな点刻で量感表現し、ハッチングの代わりに点の密度を濃くすることで陰影を出している。人物の肌には主に点刻が用いられているため、顔や手足は着衣の重たいハッチングの線刻から浮かび上がり、表情が明瞭である。また原図よりも細かな点を刻むことで、肌の柔らかな質感や自然な丸みが巧みに表現されている。天使のハッチングとは異なり、点刻表現においては、原図にとらわれることなく自由な針裁きによって田善の独自の画趣が表れている。こうした点刻表現は田善の創造意欲を掻き立てたようで、たとえば《フローニンヘンの新地図》においては、駆け抜ける鹿やウサギの軽快さや躍動感が効果的に表現されている〔図13左〕。また同作品の前景の人物の腕〔図13右〕は輪郭線で縁取られ、点刻で埋められているが、一部がところどころ丸く抜けており、量感とも陰影とも異なる、刺青のような独特の表現が見られる(注12)。5 摸刻の使命これまで考察してきたように、田善の初期作品には、技術的には未熟だが必死で原図を模倣しようと努める、彼のひたむきな態度がうかがえる。その後おそらく文化年間(1804~1818)前半になると、次第に独自の線刻・点刻表現が見られるようになる。この時期に制作されたのが、12図からなる〈銅版画見本帖〉であったと筆者は考えている。これまでの考察では、線刻・点刻表現における田善の模倣から創作へと至る過程や諸相を、いくつかの作例を通して論じてきたが、技術確立後において、田善はふたたび原図へと回帰していくように思われる。―239――239―
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