類例が少ない。また、面長な顔と卵形の輪郭、切れ長で吊り上がった眼には宋風の要素も窺える。さらに、後補とはいえ像全体に淡い白色の彩色が施されており、これを白檀の色を意識したものとみれば、檀像彫刻として認識されてきた可能性も考えられる。4 仏像データベースの分析・考察②─仏教文化圏について─平安・鎌倉時代の仏像の所在する寺社等の位置を、現在の主な地形や街道、荘園の推定位置と併せ、地図上に示した〔図7〕。現在の地理的・文化的なつながりを加味し、湖西市・浜松市(旧三ヶ日町)を地域A、浜松市(旧細江町・引佐町・旧浜松市の一部)を地域B、浜松市(旧浜松市)・磐田市(旧磐田市・旧豊田町)・袋井市(旧浅羽町)を地域C、浜松市(旧浜北市・旧天竜市)、森町、磐田市(旧豊岡村)、袋井市(旧袋井市)を地域Dとして、報告者が本研究独自の区分けを行った。ここでは遠州地域の仏像の分布について、遠州地域の地理的・文化的側面と関連付け、分析・考察を行う。⑴ 水辺に集う寺院と仏像応賀寺の阿弥陀如来坐像が当初伝わった舘山寺は浜名湖に囲まれた大草山に位置するが、阿弥陀堂を湖面に向かって建て、湖面を浄土庭園の池に見立てていた可能性が指摘されている(注5)。地域Aの応賀寺と隣海院、地域Bの大円寺は浜名湖岸の平地に位置する。隣海院に伝わる12世紀の阿弥陀如来坐像と二天立像は、当初さらに浜名湖岸に近い勝楽寺に伝わり、諸像が浜名湖の西方から湖面を見渡すように安置されていたことも想像できる。浜名湖岸から距離はあるが、地域Aの大知波峠廃寺、大福寺、瓦塔遺跡、地域Bの長楽寺は、それぞれの位置する丘陵地の中腹から、眼下に浜名湖を望むことができる。地域Cは、12世紀の制作と推定される聖観音立像が伝わる両光寺が佐鳴湖の北岸の湖面を見通す高台に位置する。さらに、遠江国分寺跡に近く、12世紀の仏像が多数伝わる地域には、聖武天皇が「大の浦のその長浜に寄する波ゆたけく君を思ふこのころ」(万葉集)と歌に詠んだ入り江「大之浦」があり、浜名湖から離れた地域Cにおいても水辺周辺への寺院建立が促されたと考えられる。なお、12世紀の阿弥陀如来坐像が伝わる東三河地域の東観音寺は、もとは太平洋を望む位置にあり、『東観音寺古境内図』には海上の船や網を引く人々が描かれている(注6)。浜名湖と周辺の寺院や山々との位置関係は、琵琶湖と己高山周辺のそれと類似するように思われる。琵琶湖岸の各地域には10世紀に天台宗が勢力を伸ばし、荘園経営に伴って寺院の建立と仏像の制作が促進された。特に湖北の己高山は古くから特殊な霊―15――15―
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