鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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神戸市立博物館に所蔵される《蘭画帖》は現在軸装されているが、当初は、西洋書籍から模写・摸刻した田善の下絵類をまとめた画帖であった。表紙には「文化十年酉六月 蘭画帖」と記され、左下は墨で塗りつぶされているが、うっすらと文字が確認でき、そこにはおそらく「亜歐堂」と記されている。したがって、ここに収められた作品は文化10年(1813)までに制作されたものと考えられる。この画帖に貼付された西洋人物の肖像画〔図15〕の原図は、菅野陽氏が指摘したとおり、ヘラルド・ライレッセの『大画法書』第7書第5節の挿絵〔図14〕である(注13)。菅野氏はこの人物像を「模写」すなわち白描画としているが、肖像画の四方にはプレートマークがあることから、銅版画であることが分かる。原図と田善作品を比較すると、陰影表現や量感表現を含め、線・点刻のひとつひとつに細心の注意を払って、きわめて忠実に原図が再現されている。最初期の作例と比較すれば、極細の線が使用されているなど、田善の製版技術が格段に高くなっていることが分かるだろう。田善は円熟期に制作された大画面の銅版画においても、精度の高い摸刻を行っている。《西洋公園図》(26.9×53.1cm[プレートマーク])や、「文化六年(1809)正月」の款記を持つ《ゼルマニヤ廓中之図》(27.1×53.8cm[プレートマーク])はそうした特徴を備えた作例である。後者〔図17〕は《古代ローマ繁栄の図》と《パリ市庁舎眺望図》、ヨハン・ニューホフ著『東西海陸紀行』などから建造物や人物像を取り合わせ、再構成したものである(注14)。《古代ローマ繁栄の図》(1756年、ロンドン、ロバート・セイヤー版)〔図16〕(注15)と《ゼルマニヤ廓中之図》中央のオベリスクより左側の建造物について、両者の線刻表現を比較すると、各建造物のハッチングの付け方には酷似する部分が多く見られる。一例を挙げれば、田善の作品では画面左の巨大な神殿の土台部分〔図19〕は、垂直・水平方向のハッチングとクロスハッチングを使い分けて、軒蛇腹など各部は鮮明になっているが、これは原図〔図18〕にならったものであろう(ただしレリーフ装飾の図様は異なる)。また中央に配置された田善の凱旋門の側面下部には、耳型の装飾〔図21〕があるが、これは原図に付されたアラビア数字の3〔図20〕を田善が装飾の一部として受容したものである。《ゼルマニヤ廓中之図》では、銅版画技術の習得時期の作品とは摸刻の水準が格段に高くなっているが、制作時期は世界地図や解剖図の制作を手掛けていた頃とちょうど重なる。西洋医学書の挿絵をまとめた『医範提綱内象銅版図』は《ゼルマニヤ廓中之図》の前年文化5年(1808)頃に制作されたものであり、官製世界地図《新訂万国全図》の試作品である《新鐫総界全図・日本辺界略図》は、同6年6月頃には完成していた。これらは手本もしくは下絵を忠実に基にした、いわば職人技とも言うべき忠―240――240―

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