地方文人たちを分類する技芸は「琴徒・棋人・書家・画家・聞人酒徒・詩人・歌人・俳人・新俳家(注15)・謡曲家」である。書画会の主役である「書家」「画家」のほか、「詩人・歌人・俳人(漢詩・和歌・俳諧)」という文芸分野も、多くの書画会に見られる基本技芸である。「琴」「棋」は文人の四芸「琴棋書画」に含まれることもあり、「挿花」と共に他の書画会でも散見される。「琴徒」については、会幹と想定する吉田錦所が一弦琴に親しんだことも関係するだろう。「謡曲家」は珍しいが、久方村(桐生市域)の者が多く、久方の機業家・木崎源蔵(記載なし)が浄瑠璃に長じ、近隣に多くの門人を擁したことによるか。「聞人酒徒」には姓名の略称と思しき者も見え、特に技芸を持たない名士的存在と考える。町や村を示す小地名は51か所が登場する。便宜的に現在の市域で分類すると、現桐生市域は16か所、足利市域が8か所、太田市域が7か所、みどり市域が5か所(後2者は群馬県、桐生市に隣接)となり、隣接地域が多い。ただ、埼玉県域(武蔵国)の5か所など隣接しないが経済的・文化的関係の深い地域(注16)も見られる。実際の人数比〔表1〕を見ると、桐生市域57%、足利市域22%となる。次に、技芸別の人数割合を見る(注17)〔表2〕。最も多いのが「聞人酒徒」16%で、次いで「新俳家」「俳人」「歌人」「画家」が14~12%と拮抗する。各分野バランスよく人数を揃える意図が働いたと思われる。続いて各分野における地域の割合を比較した〔表3〕。桐生市域の割合に注目すると、「聞人酒徒」「謡曲家」はほとんどが桐生からの参加であることが分かる。これに次いで、「書家」「俳人」でも桐生が半数を超えている。高い教養レベルが要求される「歌人」が6割、「詩人(漢詩)」が4割と高いのは、国学・漢詩とも盛んな桐生の地域性による。しかし、画家における桐生の割合が、「新俳家」に次いで非常に低いことが意外である。杉仁は『関東諸家人名録 書扁 毛州之部』(文政頃か)など3種の関東の人名録から文化活動の分野別割合を示し、多い順に「俳諧」「書」「花」「画」「詩文」(中略)「狂歌」「和歌」「学者(儒)」を挙げる。そして、俳諧を最下層、和歌・漢詩などを最上層とする階層性が存在し、修得者は階層が高いほど少ないことを指摘している(注18)。本史料の割合は、俳諧と書が最も多いことは一致するが、画の割合の低さが杉の提示した順位と齟齬をきたす。織物との関係も深い画の修得者が、他の地域と比べて低いということも考えにくい。画家に占める桐生の割合の低さは逆に、桐生以外からの参加者に画家が多いことを示す。また、招聘された「諸名家」52名のうち22名、4割以上が画家と推測される。さらに、岩本一遷・前原互瀬・吉田錦所ら、画を描いたことが知られる者(前2者は―249――249―
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