ところで椿山の足利行きには門人の山本琹谷が同行し、足利で肖像画制作も行っているが、本史料にも「諸名家」として登場する。「諸名家」のうち、画家は次の22名である。田崎草雲、福島柳圃、岡本秋暉、福田半香、山本琹谷、藤堂凌雲、渡辺小華、鈴木鵞湖、安西采石、池田孤村、「秋航先生」、松岡環翠、「東□先生」、鏑木雲洞、野崎真一、栗山石宝、「□山先生」、東東莱、横山雲南、増田桂堂、「洪園先生」、「梅華先生」草雲・柳圃は足利・深谷という近隣地域出身で江戸でも活動した有力画人、岡本秋暉、福田半香、山本琹谷、安西采石、および栗山石宝(相沢石湖門)の8名は、崋椿系か比較的関係が近い画人である。主催者に崋山の甥・岩本一僊、椿山門人ともいう吉田錦所が並ぶことからも、崋椿系画人の多さは首肯できる。彼らを支えた江戸の豪商・佐野屋こと菊池澹如(下野宇都宮出身)の詩集『澹如詩集』にも、半香、琹谷、小華、鵞湖、采石、石宝、雲南の画が載る。詩人・書家においても大槻盤渓、大沼枕山、中澤雪城、萩原秋巌、小山霞外、小山梧岡が同書と本史料に載る。澹如自身は前年の「坂下門外の変」に連座し死去しているが、佐野屋のネットワークは生き続け、桐生でも作用している可能性がある(注21)。崋椿系以外では、桐生の大出東皐の師・藤堂凌雲、佐羽竹渓との交流が知られる江戸琳派の池田孤邨と同派の野崎真一、上州下仁田にルーツを持つ鏑木雲洞なども当地とのつながりが想定できる。このように、各画家と桐生とのかかわりを紐解くと、桐生という町の文化的な履歴(地層)を概観することができる。また同時に、書画会の「諸名家」招聘が江戸の書画商頼みの受動的なものではなく、地方文人たちの人脈を生かした主体的な人選であることをも窺わせるのである。おわりに以上、桐生で開かれた書画会引札を分析することで、北関東における「受容者層」の構造と文脈の一端を例示した。300人を超える「受容者」が、教養・文化的階層差はありながらそれぞれに技芸を持って集う様子を一望することができた。そして本史料においては、画は他の諸芸と比較して「広域性」がみられることを指摘した。また、―251――251―※「」は姓・経歴未詳者。
元のページ ../index.html#261