鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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に多く学んだ。⑼桐生と江戸の文人の活発な交流は、『江戸と桐生 華やかなりし文人交流展』(群馬県立近代美術館、2005年)、『関東南画のゆくえ 江戸と上毛を彩る画人たち』(群馬県立近代美術館、2021年)で紹介された。⑽「石田九野」『桐生織物史人物伝』桐生織物同業組合、1935年。⑾書画会引札研究のうち、おもに次の論考を参照した。上野憲示「書画会案内集」『栃木県立美術館紀要』6号(1978年)、北島優「尾張名古屋における書画会について」『美術史研究』36号(早稲田大学美術史学会、1998年)。⑿「諸名家」全員が実際に来訪したかは保留。少なくとも主催者側に招聘の見込みがあり、桐生で需要があると評価した文人として考える。地方文人については、事後承諾の場合もあった(注⑶末武2019年)。⒀参照した書画会引札のうち、翻刻・リスト化を行ったのは次のとおり。〔A〕「足利五十部瑞泉院書画会」(会主:松崎常春、99名)、〔B〕「足利葉鹿東光寺書画会」(会主:竹内楊園、197名)、〔C〕「(館林)片街別荘書画会」(文久元年〔1861〕、会主:齋藤一齊、45名)、〔D〕「足利八木宿龍善寺還暦会」(会主:丸山兵次郎、134名)以上、吉澤家文書。〔A〕~〔C〕は注3の末武論稿(2019年)に図版掲載、〔D〕は『没後150年 山本栞谷と津和野藩の絵師たち』展図録(島根県立石見美術館、2023年)に図版掲載。〔E〕「桐生天神廟前詩歌書画小集(翻刻)」(慶応元年開催、会主:中島菊城、35名。粟田豊三郎「慶応元年桐生雅会案内状」『桐生史苑』27号、1988年3月)、〔F〕「桐生書画展観会引札」(会主:吉田錦所ほか、74名。注⑾上野1978年)。他の史料は適宜本文中で言及する。⒁吉田錦所は、桐生を代表する国学者・吉田秋主の女婿。佐藤一斎、椿椿山に学んだと伝える。椿山の門人籍『琢華堂門籍』には見えないが、『琢華堂縮図』には蘭の「十二屏風」の注文者として載る(印田由貴子ほか「翻刻 琢華堂縮図」注⑴『椿椿山展』図録206頁)。⒂「俳人」と分けて設けられる「新俳家」の内容は不明。ここに並ぶ岩瀬如渕は「今様雑誹」にも親しんだという(如渕碑銘、吉田錦所撰)。⒃武蔵の中瀬・妻沼などは水路・陸路上の重要地で、前世代から重要な文人が活動した地名が多い。地理と文化的文脈の整理も進めている。⒄本稿の目的「地方の受容者層」から外れる「諸名家」と、技芸ではない分類の「補助」を除いた記載者を数える。⒅杉仁『近世の地域と在村文化─技術と商品と風雅の交流─』吉川弘文館、2001年、60頁。⒆山田烈「椿椿山『足利遊記』翻刻と解題」『東北芸術工科大学紀要』20号(2013年)の翻刻に拠った。⒇注⒁参照。㉑安西采石は、佐野屋の活動と関係の深い書画商・安西雲烟の息で椿山門人。―253――253―

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