鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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ピュロス、ティリンス、ミケーネ、テーベの印章はその数はそれぞれ1~3点の少数ではあるが〔表2〕、これらの印材は威信材とみなされる金属製印章が含まれ、その価値はケルキラのものよりも高いだろう。ミケーネ文明がミノアの技術を取り入れ発展し始めた新宮殿時代には神や王への人々やゲニウスたちの礼拝場面(CMS I no. 17, 179)や聖婚の儀式と推測される場面(CMS V no. 199)が見受けられる。最終宮殿時代には、メッセニア地方のピュロス宮殿の金属製印章による印影(CMS I no. 329)が出土している。太陽の下にライオンと有翼のグリフィンが、さらにその下にはオウムガイとイルカたちが一列に並ぶ。太陽の下に陸空海のそれぞれを象徴する聖獣・動物が表されるため、この図が全世界を暗示し、この図が施された印章はこの地域の最高位の権力者やそれに関連する図像であると推測できるだろう。同じピュロスの印影(CMS I no. 379)には、それぞれ聖獣と動物たちを左右に控えたポトニア・テロン(動物たちの女神)の頭上に太陽が配された象徴的な場面が表されている。まとめ以上の結果から、報告者は印章における太陽モチーフのミノア・ミケーネ文化における展開について次のように推測する。太陽モチーフはミノア文明が最も栄えた新宮殿時代に、エーゲ美術の他の図像と同じように、クレタ島からギリシア本土へと図像が伝播したと思われる。しかし、全ての図像が均一にミケーネ世界へと伝わったのではなく、それぞれの図像の伝播には地域的、年代的な傾向が認められる。太陽モチーフはクノッソス宮殿を中心とした中央クレタで特に新宮殿時代に好まれ、それらは太陽と単体モチーフの組み合わせや左右対称のように単純な構図で表された。印材により主題の使い分けが認められ、工房の活動や所有者の地位、印章の使用法が異なった可能性も考えられる。この特徴が同時代のギリシア北部のケルキラでも認められるのは興味深い。この地では同主題の軟石製印章も認められ、これがクレタ島から流れこの地に渡ったと推測できる。なぜなら先行研究(注10)において軟石製印章はクレタ島でのみ認められるのが一般的な傾向として知られるためである。図像学的特徴の一致や軟石製印章の存在から、ケルキラはクレタ島から直接的な影響を受けていることが読み取れる。しかし、新宮殿時代から最終宮殿時代にかけてのギリシア本土の他の地域、ミケーネとその近郊のティリンス、テーベ、ピュロスはケルキラと同じミケーネ文化圏であ―260――260―

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