注⑴訳注 石田譲二『枕草子』上、角川学芸出版、2014年、40頁⑵注⑴同掲書、64頁⑶校注・訳 小島憲之など『萬葉集』〈日本古典文学全集〉8、小学館、2006年、66頁⑷校注・訳:小沢正夫 松田成穂『古今和歌集』〈日本古典文学全集〉11、小学館、2006年、218北斎《南瓜花群虫図》(すみだ北斎美術館蔵)にてモチーフとなった南瓜も16世紀半ば頃に伝来し、江戸時代には庶民的な野菜となっていたようである(注18)。また、本作の画面中央の南瓜の蔓には芋虫が這っている。以上みてきたように、本草学などの学問が進展した18世紀以降、草虫図に登場する虫や草花の選択は伝統的なものに限らず、幅広く自由なものとなっていたようだ。上述の様な学問の進展、俳諧、狂歌人口の増加により絵画を受容する層の意識が変化し、草虫図においてより多種多様なモチーフの登場を望むようになった姿勢が、日本ではこの時代に顕著になったのではないだろうか。むすびにかえてこうした時代を背景に、抱一の周辺で流布した構図の檜図に、蝉を加える挑戦を《檜蔭鳴蝉図》において文晁は行ったのではないだろうか。同時代を生きた絵師である其一による《夏秋渓流図屛風》では、秋が訪れるといなくなってしまう蝉と、常緑の檜の取り合わせは、夏から秋への季節の変容を効果的に表出するひとつの仕掛けとなっている。季節のうつろいに対する感性がより鋭敏になったこの時代の自然観を表す作例として、《檜蔭鳴蝉図》は江戸時代から近代への架け橋となる重要な作例であると言えるだろう。頁⑸注 井本農一、堀信夫『松尾芭蕉集』1〈日本古典文学全集〉70、小学館、1995年、276頁⑹奥本大三郎『百蟲譜』平凡社、1994年、11頁⑺訳注 張彦遠 長廣敏雄『歴代名画記』2、平凡社、1977年⑻井上裕紀子「中国の吉祥モチーフについて」(『哲学会誌』27、2003年)では、こうした訓戒を含む文人的な意味と、官位に就くことを暗喩する蟷螂が高官の衣装を指し示す蝉を捕える吉祥的な意味が重ねられているとしている。⑼徳川林政治研究所『森林の江戸学』東京堂出版、2012年⑽訳注 島田勇雄など『和漢三才図会』15〈東洋文庫〉516、平凡社、1990年⑾「鈴木其一 夏秋渓流図屛風」展、展覧会図録、根津美術館、2021年⑿河野元昭「谷文晁」〈日本の美術〉257、至文堂、1987年、13頁⒀注⑾同掲書―269――269―
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