鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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伊平の竹馬寺に十一面観音立像が伝わる。腰高で重量感がある点は古様であるが、平坦で簡略化された衣文の表現から12世紀の制作と推定される。伊平を北上し定朝様式の阿弥陀如来坐像が伝わる長福寺のある的場を過ぎると、すぐに三遠国境が迫る。国境を越えてすぐの満光寺には薬師如来坐像が伝わる。誇張の少ない体躯には定朝様式の名残を残すが、理知的な面貌、深い衣文線の彫りから12世紀後半から13世紀の制作と推定される。遠州地域と東三河地域に伝わる尊像の種類や制作年代、像容の類似、伝わる地域の位置関係等から、両地域の仏教文化圏の近似が窺える(注15)。一方で、観音菩薩の作例について、遠州地域は聖観音が6例、千手観音が3例、十一面観音が2例であるのに対し、東三河地域(豊橋・新城地区)では、十一面観音が4例、聖観音が1例と、尊像の比率に差異が認められる(注16)。遠州地域東隣の静岡県中部地域(島田市・藤枝市・焼津市・静岡市)はまた状況が異なり、国・県・市の指定文化財に限れば、聖観音が6例(注17)、千手観音が4例、十一面観音が3例と、千手観音の比率が比較的高いことが窺える。島田市・智満寺と静岡市・中野観音堂の千手観音立像はともに10世紀に遡る古様な作例で、焼津市・法華寺、静岡市・建穂寺、霊山寺等、千手観音を本尊とする寺院も多い。この背景には、その制作が8世紀後半から9世紀前半にまで遡る可能性が指摘される鉄舟寺の千手観音立像(注18)の影響があるのかもしれない。遠州地域は聖観音の信仰を中心としつつ、十一面観音の比率の高い東三河地域と千手観音の比率が高い静岡県中部地域の狭間で十一面観音と千手観音も一定程度伝わることから、東西両地域の中間的様相を呈する。5 研究のまとめ遠州地域では、浜名湖周辺に10世紀の優れた仏像が伝来し、それ以前の遺跡や廃寺の存在から、10世紀以前から仏教文化圏が形成されていたと推察される。定朝様式を含む12世紀の仏像が多く、正統的な作風・構造を示す作例、玉眼像のような先進的な作例、在庁官人級の人物が関与した作例、荘園経営でもたらされた可能性のある作例は、中央との繋がりの深さを示唆する。ただし、制作年代と作風・構造に乖離があり、都色と地方色が混在した様相を呈する。慶派仏師の作例を含む13世紀の仏像も一定程度伝わり、12~13世紀が遠州地域の仏教文化の隆盛期といえる。その背景には、豊かな水辺のもたらす経済的恩恵と景観への浄土信仰、周辺の山々への信仰との重なりが想定される。遠州地域の仏像の制作年代や尊像の傾向は東三河地域と近似し、三河・遠江両国分寺を結ぶ本坂通りや国境の峠を介した文化的交流の影響が窺える。ただし、普門寺、林光寺、東観音寺に伝わる半丈六の坐像が遠州地域に見られない点は留―18――18―

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