て命名された名称である。後に下音羽地区の大神家で発見される一連の絵画のうちに扉絵が含まれており、そこには「Ⅶ PETITIONES ORATIONIS DOMINICAE CORRESPONDENTES AD Ⅶ SACRAMENTA XPI ECCLAE NEC NON AD ⅦVIRTVTES.」とあり、「教会の7つの秘跡と7つの徳に対応する主の祈りの7つの請願」と題す方が適当かと思われる。しかし東家の遺物が発見された時点では未だ扉絵は発見されていなかった。7つの秘跡のうち、「洗礼」と題することのできる東家の1枚に描かれる女性は、天を見上げ、合掌する姿をしており、この姿から新村によって「天使讃仰図」と名付けられた。ヨーロッパかあるいは経由地で制作された銅版画であると思われ、『報告』には画面が「縦一尺九分、横八寸三分」と記されている。これは33.0cm×25.1cmとなり横が現状より3cmほど大きくなる。加えて『報告』では全紙面として「縦一尺五寸三分、横一尺一寸四分」という寸法が記されている。本図はかつて周囲に余白が多く取られていたことが写真等でも明らかであり〔図8〕、修理が行われていることは明らかである。現在の「洗礼」を見ると、裏打ちが施され、周囲は5mm幅の黄土色の裂を巻き付けている〔図9〕。また、「洗礼」と一連の作品であることがわかった下音羽地区の大神家で発見された5枚の「主禱」「堅信」「品級」「聖体」「婚姻」については、最も発見時の状態に近い写真は「京都大学総合博物館蔵キリシタン関係資料」中にある写真であると思われる〔図10〕。これをみると、非常に状態が悪く、所々を台紙にピンで留めているようである(注10)。現在の状況は、裏打ちが施され、周囲は5mm幅の茶色の裂が巻き付けてある台紙に貼り付けており〔図11〕、先の「洗礼」とはやや異なる修理となっている。修理時には一連の作品として認識されていたため、「洗礼」と類似した修理が施されたのかもしれないが、裂の色は異なっている。最後に、東家からみつかった「殉教者立像」について触れておきたい〔図12〕。『報告』における解説は補遺として追加されている。寸法は「竪九寸五分横七寸三分」とあり、縦28.7cmが横22.1cmとなる。縦横ともに2~3cmほど切られているようである。写真をみると、下部に竹の軸が取り付けられているのがみえる。保存状態は非常に悪く、画面上部を大きく亡失している。現在の殉教者像は、竹の軸は取り外されており、裏打ちが施され、周囲は黄土色の5mm幅の裂が巻き付けられている〔図13〕。現在の遺物の保存状態をみれば、ザビエル像、マリア十五玄義図、天使讃仰図の洗礼、殉教者像はそれぞれ修理が実施されていることがわかる。また、その修理は一様に周囲を切り取り、細い黄土色(ザビエル像の色は不明)の裂を巻き付けるというものである。その体裁を整える必要性が生じたきっかけとなったのは何だったのであろ―276――276―
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