鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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猫が死ぬという仕組みの装置を考えた。ミクロな現象を扱う量子力学では、すべての事象は観測されてはじめて確立されるものであり、異なる複数の事象が重なりあった状態で存在するという前提がある。この考えに基づくと、放射性崩壊後、観測する(箱を開ける)までは猫は「生きている」状態と、「死んでいる」状態が重なりあっているという仮説が提示できてしまう。この思考実験はまさに、「観測するまで物事の状態は確定しない」という量子力学の考え方の奇妙さを問うものであった。もちろん、ミクロな物質を扱う量子力学のモデルとマクロな世界での現象とを同一視することはできないし、デ・マリアのスケッチとシュレーディンガーの猫との関連性については、想像の域を出るものではない。ただ、目に見えないものに対して人間がどのように想像するのかという、デ・マリアの制作にとって重要な考えが量子力学への関心と深く関係していた可能性が高いことが作家自身の発言からも窺える。以下では、彼の発言を考察することによって、その関連性を浮かび上がらせる。量子への関心デ・マリアは自作については多くを語らず、自身の意図や解釈を明示することはほとんどなかった。そのため、アメリカ美術アーカイヴスに所蔵されている1972年に行われたインタビュー原稿が、彼の経歴や思考をたどる上で貴重な資料となっている。とくに、彼の自然科学への関心を知るには、1950年代にカリフォルニア大学バークレー校に在学していた当時を回想している箇所が示唆的である。デ・マリアとインタビュアーのポール・カミングスは同大学の学術環境について次のように述べている。デ・マリア:…バークレーの科学の分野は素晴らしかったですよ。[キャンパスの]丘の上には、サイクロトロンがあったんですよ。ほら、原子を分離して、その軌道を観測する装置ね。カミングス:ノーベル賞を受賞した学者たちがその辺を歩いているわけですよね。デ・マリア:そうそう。非常によい環境でしたね。・・・地質学や物理学を専攻する人たちと知り合い、彼らから多くのことを学びましたよ。(注4)ここで言及されているサイロトロン(円形イオン加速器)とは、バークレー校の敷地内に位置するローレンス・バークレー国立研究所に設置されているサイクロトロンのことであろう。同校での学生時代を振り返る際に、この装置に言及していることは、―285――285―

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