鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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デ・マリアが原子や量子力学に関心があったことを物語っている。さらにインタビューの後半では、1960年代後半のミニマリズムや、小型化された電子回路、コンピューターや完全な効率化といったテクノロジーの発展についても、「原子に対する理解、つまり、モノがもっとも本質的なレベルにまで還元されるという思考」を象徴しているのではないかと述べている(注5)。さらに、「電子顕微鏡でより微細なものを見ることができるようになっていることと、同時に、宇宙の銀河のすべてをいまだに見ることはできないということには関係があると思う」(注6)とも続けている。ここからは、肉眼では見えないミクロなものへの関心だけでなく、対極的なマクロな視点との関係でそれらを捉えようとする態度も看取できる。さらに、1972年に刊行された『ニューヨーカー』誌の記事のために行われたインタビューにおいても、「不可視性が芸術において、主な共通特徴かもしれませんね。科学は、物質は目に見えない粒子で構成されている、と言うわけです…目に見えないものが存在するという考えですね。このような考えを受け入れるのはあまり簡単ではないですけど、それらは存在しているわけですよ」と述べていることからも(注7)、物体の存在を考える上で、その根本的とも言えるミクロなスケールまで想像することに馴染んでいたと考えてよい。(デ・マリアは、この記事内で、20世紀前半から1960年代までの芸術の変遷を様式上の変化として捉えるというよりも、「大躍進」といった意味で使われることもある「quantum leap(量子跳躍)」という語で形容しており、この言葉は、記事のタイトルにもなっている。)デ・マリア作品と、数学的な規則性や地質学といった自然科学との関連はこれまでも指摘されてきた。だが、存在の状態について、革命的とも言える新たな見方を提示した量子力学的な考えから、彼のランドアートの作例や大型インスタレーションを再考することもできるだろう。例えば、ニューメキシコの平原に400本の金属製のポールを等間隔に配置し、落雷を誘発する《ライトニング・フィールド(Lightning Field)》(1977)は、アクセスするのが難しい場所に設置され、写真撮影も禁止されている。そのため、この作品の受容は主に、作家本人が承諾した数枚の写真イメージのみを通じて形成されてきた。つまり、この地を実際に訪れるのは容易ではないため、多くの人々が写真イメージを通じて、この作品の存在を観念的に受け入れてきたことになる。ここでも、物質(この場合は、《ライトニング・フィールド》という作品)が人々の想像のなかでどのように存在するのかという彼の一貫した関心と関連づけることができ、量子力学のモデルとも通じるものがある(注8)。以上を踏まえた上で、本調査で行った直島のベネッセハウス・ミュージアム近くの―286――286―

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