㉙ 和製唐物漆器の展開と特質研 究 者:東京国立博物館 研究員 福 島 修はじめに海を越えてもたらされる唐物の影響は諸方におよび、漆工品における様式的変化に着目すれば多くの場合何らかの形で大陸の技法や表現が影を落としている。構図や形態、素材用法、文様や塗り方まで多岐にわたるものの影響の度合はさまざまで、場合によっては直模と呼ぶべき作品もある。本稿ではこうした作品、すなわち大陸製造形物について様式面から、あるいは素材・技法面も含め直模に近い形で再現を試みた漆器を和製唐物漆器と呼ぶ。ただ厳密に考えると複雑な状況整理を要し、「唐物」か「和製唐物」かは截然と区別しにくいものも少なくない。国を越えた注文制作や、異国の市場を視野に入れた輸出向け製品など、使用者・制作者がそれぞれ異なる文化に属する例が混在するからである。加えて和製唐物漆器の場合、根本的な問題として近世以前の基準作が極端に少ないという事情がある。近年はCTの活用などによって目覚ましい成果が示されており、従来難しいと考えられてきた産地同定についても精度の高い判断ができるようになってきた。しかし日本でいつ、どのように唐物と見紛うほどの作品を作る技術が確立し、制作が開始されたのか、初期の状況をはじめとして展開の道筋は明らかとなっていない。和製唐物漆器のうち、とくに中世の彫漆についてはほとんど手がかりがないが、江戸時代には地誌類の記述や現存作例からも彫漆職人が多く活動したことが知られる。本稿では御用堆朱師として比較的史料の残る堆朱陽成を中心に和製彫漆をめぐる江戸時代前期の状況を確認したい。唐物の鑑定事業と堆朱家鎌倉時代末期から貴顕の間で大陸産文物「唐物」に対する関心が著しく増大し、中世社会では唐物に対する複雑な価値基準が成立していた。たとえば14~15世紀には、・品質(名物、上品、尋常、下品)・時代性(古渡、新渡の古渡同等品、新渡)・希少性が唐物の価値判断に際して意識されていたという(注1)。和製唐物は「うちの物」と称され唐物より一段低く扱われたが、その中にも等級があり、それぞれ等級に応じ―307――307―
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