鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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皇江御香合取次、致獻上ニ付、予亦受惠事如何故、筆軸令返進也。柴量迄斷、申談也。非時振舞、點濃茶也。寂光・楊成者今日初而成知人也。柴田良宣の案内で、堆朱楊成が鳳林承章のもとにやってきた。楊成はその製した筆軸を手土産に持参したが、どうも今度は後水尾法皇に香合を献上する意向のようで、鳳林がこれを受けてしまうと取次をしなければならなくなる。そのためこれは返進した、と述べている。さらに二年後の寛文六年二月四日条(注7)には扇子二本を持参して来訪し、法橋となる望みを訴えており、自らをブランド化する工作を積極的に行っているように見える。一方、堆朱家の鑑定書はいつごろから発行されるようになったのだろうか。田淵可菜氏は、先行研究に加えて現在知られている鑑定書19通23種をまとめて報告されている(注8)。堆朱家の鑑定書に記される花押は以下のように年代ごとに5種類が認められ、Ⅰ期のみ書式・筆跡が異なり、花押は異なるもののⅡ~Ⅴ期の筆跡は一致することが指摘されている。Ⅰ期:寛文七年(1667)~延宝五年(1677)もしくは延宝六年Ⅱ期:貞享三、四年(1686、1687)Ⅲ期:元禄九年(1696)Ⅳ期:宝永二、三年(1705、1706)Ⅴ期:正徳三年(1713)~享保三年(1718)つまり堆朱家の系図〔図2〕に従えば、Ⅰ期は九代長善(~1680)、Ⅱ~Ⅴ期は十代長是(~1719)の鑑定書ということになる。現存する堆朱家の鑑定書は寛文七年(1667)の九代長善のものから知られており、先に見たように堆朱楊成が自らの香箱を上皇に献上したのもほぼ同時期、わずかに遡る寛文四年であった。堆朱家の活動は制作・鑑定の両面にわたり、寛文年間頃から俄かに盛んになりはじめたことがわかる。そしてその立役者として活躍し、堆朱家のブランド化を精力的に推し進めたのが九代長善であった。堆朱楊成の彫漆堆朱楊成家が江戸時代を通じて堆朱の製作を行ったことは確かだが、その確実な作例となると途端に姿が見えなくなる。小林祐子氏は全国の美術館・博物館で堆朱楊成―310――310―

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