鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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作とされる作品を調査したところ、それらはいずれも伝称作者に過ぎず、確たる証拠がないという(注9)。たとえば東京国立博物館蔵「松竹梅堆朱盆」〔図3〕は堆朱楊成作と伝わるが、その旨は博物館の台帳にあるほかは箱書や作品本体には何も記されていない。同作について詳しく技法を報告した荒川浩和氏によれば、混合物の多い朱漆を厚く堆起して文様を彫り表したもの、としている(注10)。同作の柔らかな素材の質感は、意匠から志向すると見られる明時代中期頃の彫漆とは大きく異なる。おそらく漆に混和する顔料や乾性油などの材料や比率に違いがあるためであろう。ここからも同作が日本製である蓋然性が高いと言えるが、堆朱楊成に繋がる要素は皆無である。そうした中で、根津美術館所蔵の「蘭堆朱香合」(注11)〔図4〕は張成造香合を堆朱楊成が模造したことが、その銘から知られる希少な現存作例である。箱書には「張成造揚(ママ)成写/推(ママ)朱御香合」とあり、身の底部左方に「張成造」、中央下部左寄りに「楊成摸」の針描銘がある〔図5〕。いわゆる藤実形を呈する堆朱香合で、内面および底部は黒漆塗とし、身には低い立ち上がりを設けている。長い葉の集合を円形の画面の中に収めながら、優美な動きと奥行を持たせる文様配置は、たとえば「剔紅水仙花紋図盤」(北京・故宮博物院蔵)や「蓮堆朱盆」(東京国立博物館蔵)のような元~明時代の彫漆に先例が見られる。地は赤みがかった黄漆を使用し、その上に厚く朱漆を塗り重ねる中に一層の黒漆層を挟む。良質の朱漆を用いて発色も良く、花弁と葉が上下に入り組んだ複雑な文様を力強く彫り込む彫技は見事なもので、銘がなければ和製彫漆とは判断しにくい。ただ中国の彫漆として見たときに奇異に感じるのは、一層入れた黒漆層が断層から覗くだけでなく一部文様の上に現れていることである〔図6〕。中国の彫漆では黒漆層は彫りの深さを知る目安としても用いられ、上下二段に分かれた文様の場合、上層を彫った後、厳格に黒漆層を除去してから下層を彫り始める。黒漆層の上と下では事前に彫るタイミングが計画されているので、一つの文様単位が黒漆層を横断して斜めに彫り込まれることはない。本作の場合、おそらく黒漆層の高さが原品よりも高い位置にあり、そのため葉を斜めに彫り下げた際に黒漆層にかかってしまったものと思われる。これに関して、興味深い作例が現存している。本作とまったく同形で寸法も意匠もほぼ同じであるばかりか、黄漆地に朱漆層を厚く塗り重ね、一層の黒漆を挟む構造も共通する合子(個人蔵)である〔図7〕。漆の質や文様構成から明時代・15~16世紀の作かと見られ、根津美術館香合の本歌であった可能性も考えられるが、本作に張成造の伝称はなく、底部に彫銘もない。この香合の黒漆層の位置に注目すると、根津美―311――311―

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