鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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㉚ 戦国合戦図の研究─東京国立博物館本「長篠・長久手合戦図屏風下絵」の図様形成に関する研究─研 究 者:学習院大学 文学部 助教  小 口 康 仁はじめに戦国合戦図は、戦国武将たちのいくさを描く作品群の総称であるが、そのほとんどは屏風形式である。川中島、姉川、長篠、耳川、賤ヶ岳、長久手、文禄慶長、関ヶ原、長谷堂、大坂冬の陣、大坂夏の陣、島原などの画題が認められ、徳川家が幕府を開くまでの過程において高く評価されたいくさを主題とするものが多い。これまで近世の合戦図研究は、源平合戦図や曾我物語図といった「物語」としての合戦絵と、戦国合戦図のような合戦の「記録絵」という二極に分化し、研究が棲み分けされてきた。戦国合戦図は、戦功によって出世を狙うことが叶わなくなった江戸時代において、過去の戦場における注文主の先祖の武功を称揚し、それを子孫に伝えることで、みずからの家の優越性を保証する目的から制作されたとみられており、すなわち、軍記の内容そのものを絵画化する「物語絵」や、同時代の風俗を描く「風俗画」とも異なる、絵画における新たなジャンルとして考えるべきであるという提言が、1997年高橋修氏によって提唱された(注1)。ところが、この提言から20年以上も経過した今日においても、戦国合戦図に関する総体的な研究は未だ乏しい状況にある。国文学・文献史学研究からは、描かれた武将の比定や作品の制作意図に迫る議論が起こる一方で、正系の絵師が関わる作例が少ない戦国合戦図は、絵画史研究からは等閑視され、個々の作品間における描写表現や画技・筆致の比較といった絵画様式からの検討は、充分に行なわれているとは言い難い。これを踏まえ本研究では、戦国合戦図の総体的研究を試みる手始めに、その最終期に相当する19世紀の戦国合戦図制作の過程を検証する。すなわち、工程の実態が比較的明らかな東京国立博物館本「長篠・長久手合戦図屏風下絵」を分析対象に据え、①合戦図制作に使用された文献とその性格、②本図の図様形成にみる木挽町狩野家伝来の下絵・模本類の分析などを通して、戦国合戦図の制作工程と幕末における木挽町狩野家の新図制作の実態について明らかにしてみたい。―321――321―

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