鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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注⑴高橋修「【概説】戦国合戦図屏風の世界」和歌山県立博物館編『戦国合戦図屏風の世界』(1997で、数多く描く必要もあることから、このように前代の合戦図から積極的に構図を採用したのであろう。ところで、これまでの戦国合戦図研究は、描かれた武将の表現について、戦国合戦を記録した軍書や、参戦者の家に伝わる家記などのテキスト検証から主に取り組まれてきた。だが、絵画作品として戦国合戦図を位置づけるうえでは、個々の作品について造形上の成立や作品比較、また筆致の検証など絵画様式の観点からも取り組む必要がある。この点で東京国立博物館本「長篠・長久手合戦図屏風下絵」は、制作工程を示す『公用日記』をはじめ、『長篠・長鍬両御陣武徳大成記ス所抜書畧』や『長篠寄書』などの依拠史料、参照された模本も明らかで図様の淵源を辿ることが出来る極めて稀有な作例であり、周辺史資料に乏しい江戸前期の戦国合戦図研究に取り組む道標を示してくれてもいる。今後は、本研究によって明らかとなったテキストや模本類の特徴を踏まえ、同様の手法を用いて江戸前期の戦国合戦図についても順に明らかにし、近世絵画における戦国合戦図の位置づけを試みる。年)。⑵東京国立博物館・東京大学史料編纂所編『時を超えて語るもの』(2001年)、作品解説82「長篠合戦図屏風(下絵)」田沢裕賀解説。⑶高橋修「【総論】長篠・長久手合戦図屏風」金子拓編『長篠合戦の史料学』(勉誠出版、2018年)。⑷金井裕子「東京国立博物館所蔵「木挽町狩野家伝来資料」について」『東京国立博物館紀要』第58号(2023年)。⑸狩野晴川院養信『公用日記』天保5年2月29日条「此長篠長久手御屏風ハ、奥向御好之御品ニ付、画様之義ハ書面ニ不認、面談之上、口上ニ而申聞了、」と記す。⑹金子拓「東京国立博物館所蔵長篠合戦図屏風について」東京大学史料編纂所附属画像史料解析センター通信第71号(2015年)。⑺狩野忠信「明治維新以来狩野派沿革」青木茂編『明治日本画史料』(中央公論美術出版、1991年)。⑻前掲注⑹、金子。⑼宮島新一「川中島合戦図と長篠合戦図」桑田忠親偏『普及版 戦国合戦絵屏風集成 第1巻 川中島合戦図 長篠合戦図』(中央公論社、1988年)。⑽前掲注⑴、「長篠・小牧長久手合戦図屏風(副本)」解説。⑾『東京国立博物館収蔵品目録』では、『抜書』を成瀬家本とほぼ同図様である「長篠合戦屏風絵模本」の付属史料と扱うが、東博下絵の付属史料と考えるのが妥当であろう(東京国立博物館編『収蔵品目録』(絵画・書跡・彫刻・建築)(1952年)、411頁)。―328――328―

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