鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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㉛ 江戸時代後期における実景図制作と細川家─熊本藩御用絵師・矢野良勝の画業を中心に─(1)矢野良勝の画業研 究 者:熊本県立美術館 学芸員  金 子 岳 史はじめに江戸時代に熊本を中心に活躍した画派として、矢野派がある。細川家の熊本入封の際に、小倉から付き従った矢野三郎兵衛吉重を初代とし、その後百年余は低調だったものの、18世紀後半から雪舟流を軸とした古典的な楷体の山水図を得意として再興を果たした(注1)。18世紀末、5代目矢野良勝の時代に、門人の衛藤良行とともに制作した15巻にわたる《領内名勝図巻》(永青文庫蔵、熊本県立美術館寄託)〔図1〕は、矢野派の最高傑作と言える。藩内の実景がこれだけの規模で描かれた画巻は他藩では例がなく、さらに地方の絵師がこれだけの水準で制作した絵画も稀であろう。また、矢野良勝のもう一つ大きな仕事として、《全国名勝図巻》(熊本県立美術館蔵)をはじめとした、寛政9年から11年(1797~99)にかけて全国の風景を描いた画巻が存在した(注2)。これは、矢野良勝の弟子である築山勝遠が良勝の下絵を忠実に写した画巻(以下、「築山家絵画資料」)からわかったもので、①筑前から河内、②和歌山から江の島、③安房日本寺、④日光から平泉を経て水戸、⑤富士山周辺、⑥玄界灘の海航、の6巻からなり、うち④を清書したものが《全国名勝図巻》である。このように、矢野良勝の画業は、江戸時代後期に盛行した実景図を考える上でも重要であると思われるが、同時代に盛行した谷文晁を中心とした写生的な実景図とは一線を画す様式であるからか、江戸時代絵画史の中で正当な位置づけは、まだ為されていないと感じる。そしてこれらの活動は、絵画好きの藩主として知られた細川斉茲の意向も強く反映されているだろう。そこで本稿では、矢野良勝の実景図を通して、細川家の「文化外交」とも言うべき諸大名との交流という視点から、細川家における実景図制作について考えたい。矢野良勝は、矢野派4代目で矢野派を再興した矢野雪叟の嫡男として生まれ、雪舟流をさらに深く追求し、矢野派を全盛に導いた。良勝は、父と同様に楷体の山水図を受け継ぎながらも、濃墨の使い方や堅固な線描に、雪舟へより接近しようという姿勢が見られる。良勝が雪舟の《山水長巻》(毛利博物館蔵)の一部を模写した《山水長巻摸本》(熊本県立美術館蔵)は、雪舟本の臨模ではないとは思われるが、雪舟学習―333――333―

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