鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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注⑴矢野派の変遷と再興については、大倉隆二「細川藩御用絵師・矢野派における雪舟流画風の再興と継承」(展覧会図録『細川藩御用絵師・矢野派』熊本県立美術館、1996年)、金子岳史「総論 雪舟流と狩野派─細川家御用絵師の位置とその淵源─」(展覧会図録『雪舟流と狩野派─細川家を魅了した日本絵画の至宝』熊本県立美術館、2016年)参照。く必要があるだろう。おわりにこのように、斉茲が《領内名勝図巻》を制作させ、大名たちにお披露目し、さらに各種の実景図を制作した背景には、このような先代からの「文化外交」の一つとしても位置付けられるだろう。そして、それは将軍徳川吉宗や老中松平定信といった人物による政治改革の流れにも沿うものであった。このような人物の相関関係をまとめたのが〔表1〕である。もちろん、重賢や興文、そして斉茲の豊富な教養と知的好奇心があればこそのものであるが、同時に、単なる「殿様の趣味」で片づけてしまってよいものではないと思われる。さらに言えば、細川家は初代藤孝(幽斎)の和歌や文学、二代忠興(三斎)の茶の湯など、戦国時代に武将としてだけでなく当代一流の文化人として活躍し、それによっての権力者から重用されて家を興隆させてきた歴史もある。歴代藩主には、そういった先祖の活躍への意識もあったと思われる。実景図を媒体とした大名間交流、そして江戸時代後期に雪舟流を標榜して実景図を制作した矢野派の立ち位置について、さらに考察を深めていければと思う。⑵この作品の詳細は、金子岳史「矢野良勝筆《全国名勝図巻》をめぐって─築山家絵画資料を手がかりに─」(『熊本県立美術館研究紀要』第14号、2021年)にて紹介している。⑶蓑田勝彦「「領内名勝図巻」の成立と熊本藩「御絵書」のストライキ」(熊本歴研『史叢』第11号、2006年)、井形栄子「永青文庫所蔵《領内名勝図巻(御国中滝之画)》(『熊本県立美術館研究紀要』第10号、2009年)参照。⑷中村真菜美「谷文晁筆「東海道勝景」(永青文庫蔵)の制作について」(『美術史』185号、2018年)参照。⑸錦仁「藩主の巡覧記 仙台藩主と秋田藩主」(『都市歴史遊覧 都市文化のなりたち・しくみ・たのしみ』2011年、笠間書院)、注⑷中村氏論文参照。⑹注⑶蓑田氏論文参照⑺高塩博『江戸時代の法とその周縁─吉宗と重賢と定信と』(汲古書院、2004年)参照。⑻磯田道史「藩政改革の伝播:熊本藩宝暦改革と水戸藩寛政改革」(『日本研究』40号、2009年)参照。⑼今橋理子『江戸の花鳥画─博物学をめぐる文化とその表象』(スカイドア、1995年)参照。―339――339―

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