鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
350/604

⑽川口恭子「殿様のネット・ワーク 重賢候書状よりみた博物の収集」(『季刊永青文庫』39号 1991年)、川口恭子「博物学の流行─細川重賢の博物学ネットワーク─」(『新熊本市史 通史編 第四巻 近世Ⅱ』、2003年)、内田洸「毛介綺煥」ほか解説(展覧会図録『小田野直武と秋田蘭画』、サントリー美術館、2016年)参照。⑾杉本欣久「八代将軍・徳川吉宗の時代における中国絵画受容と徂徠学派の絵画観─徳川吉宗・荻生徂徠・本多忠統・服部南郭にみる文化潮流─」(『黒川古文化研究所紀要 古文化研究』第13号、2014年)参照。⑿矢野派は良勝の父・雪叟の代に雪舟流を基調とした流派様式を確立し、低迷期から脱したが、それには細川重賢と儒臣の秋山玉山が服部南郭との交遊によりその絵画思想の影響を受けたことが契機となったと考えている。注⑾杉本氏論文、注⑴筆者論文参照。⒀《蕉夢庵景勝図画詩文合巻》に関しての論説は、『新宇土市史 通史編第二巻』(宇土市教育員会、2007年)、水野裕史「災害を契機とした絵画制作 蕉夢庵景勝図画詩文合巻」(『総合文化誌KUMAMOTO』15号、2016年)、中村真菜美「渡辺玄対筆「蕉夢庵景勝図画詩文合巻」(宇土市教育委員会蔵)の制作について」(『畫下遊楽(二) 奥平俊六先生退職記念論文集』藝華書院、2018年)参照。⒁注⒀中村氏論文参照⒂注⑷中村氏論文参照―340――340―

元のページ  ../index.html#350

このブックを見る