鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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㉜ 19世紀中葉~20世紀初頭の彫刻にみる「他者」のイメージ─フランスにおける「民族誌学彫刻」の展開を中心に─研 究 者:お茶の水女子大学大学院 人間文化創成科学研究科 博士後期  1.「民族誌学彫刻」という問題本調査の目的は、19世紀後半から20世紀初頭における非西洋の人々の表象を「民族誌学彫刻Sculpture ethnographique」と呼ばれる彫刻作品を通して検証するものである。19世紀フランスの諸科学の発展や植民地の獲得は、異なるアイデンティティを持つ非西洋の「他者」のイメージを数多く生み出した。世紀中葉に活躍した彫刻家コルディエ[Charles Cordier: 1827-1905]によって制作された«アフリカのヴィーナスVénus africaine »(1851年頃)に代表されるように、これらの作品はしばしば「民族誌学彫刻」と称された。公的な資金援助や展示の機会を得て同時代のイデオロギーの一端を担った「民族誌学彫刻」は、「他者」の表象という範疇に留まらず、同時代の芸術の規範の多様化、科学と芸術の連関、装飾芸術との近接といった複数の問題関心を有する。しかし彫刻の領域における「他者」のイメージ、特に「民族誌学彫刻」とされた作品の実態に関しては、現在まで十分な議論が行われてきたとは言い難く、その定義もまた同様に茫昧なままである。1994年にオルセー美術館で開催された「民族誌学彫刻」展は、この呼称の初出を1863年であるとし、その論拠として外交官でパリ人類学協会事務総長のリアール[Girard de Rialle: 1841-1904]の1863年のサロン批評を挙げている。しかし既に1855年に、アカデミー・フランセーズ会員であったアブー[Edmond François Valentin About: 1828-1885]がパリ万博の批評のなかで複数の作品を「民族誌学彫刻」として呼び表していることが確認される(注1)ことから、同時代の(鍵括弧つきの)「科学」に基づく作品の存在は、既に1850年代には認識されていたことが窺える。さらに同時代の彫刻の傾向を考慮すると、バリー[Antoine-Louis Barye: 1795-1875]やフレミエ[Emmanuel Frémiet: 1824-1910]に代表される動物彫刻の興隆に少し遅れる形で、「民族誌学彫刻」はそのロマン主義的な主題選択、そして自然史的な観察眼に基づく表現という見地から、19世紀彫刻におけるレアリスムの発露という潮流の一環としても位置付けられてきた。しかし一方で、こうした特質は、時に古典的な理想美を欠くものとして「大芸術」たる彫刻の資質そのものを問われる危うさを孕んでいたことも忘れてはならない。また「他者」という主題がもたらす異国趣味の要素は室内―344――344―諏訪園 真 子

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