装飾とも高い親和性を持ち、色付き大理石や彩色技術の彫刻への活用は、特に肌の色といった身体的特徴の表現に現実的な効果を与えた一方で、その主題選択と併せて従来の彫刻概念の境界線を巡る多くの論争を引き起こし得るものであった。それゆえに、「民族誌学彫刻」と目される作品は、「民族」や「人種」という概念を表すのみならず、芸術と装飾、芸術と科学といった複数の概念のあわいに位置する存在であり、作品そのものの分析だけではなく、その制作に至る経緯や受容状況といった複合的な視点からその重層的な実態を今一度問い直し、美術史における作品の位相について考察を行う必要がある。本調査では、彫刻家そして鑑賞者が属していた西洋世界及び「白人」から相対化された非西洋の「他者」という主題に対する関心と、その結実としての「民族誌学彫刻」の受容状況を、同時代言説の分析を挙げながら紐解くことを試みた。2.「類型」と「理想美」同時代の「理想美」と彫刻における「人種」に関して、本論ではコルディエがパリ人類学協会で行った講演(1862年)及び彼の『回顧録』に示された彫刻家本人による作品制作への意識と、人類学の方法論を美術に応用しようとしたシャルル、ルイのロシェ兄弟[Charles Rochet: 1815-1900; Louis Rochet: 1813-78]による美学論を例に挙げ、「民族誌学彫刻」の実践者による作品制作の姿勢を検討する。「民族誌学彫刻」の第一人者を自認していたコルディエに関しては、既に多くの先行研究が存在するが(注2)、ロシェ兄弟は彫刻家として「他者」の表象に関わっていただけでなく、兄ルイは東洋言語学者として非西洋文化への接触と探求に身を投じ、また弟シャルルはパリ国立美術学校において人類学と動物学の教授を務めるなど、その活動の幅は多岐に渡っていた。中でもシャルルによる『美術教育のための応用人類学講義』(1869年)に代表される活発な言論活動は、同時代の美術教育における「科学」の活用、さらには身体表象と「理想美」との関係を考察するに際し参照すべき点が多く見いだされる。本論では「人種」あるいは「民族」という用語は鍵括弧付きで用いているが、外見上の身体的分類概念に端を発する「人種」やその「類型」の概念それ自体がもはや現代において科学的整合性を有さないことは論を俟たない。しかし近代以降の西洋世界において、これらの思想は大きな関心を持って捉えられ、特に19世紀には大衆化した娯楽としての「科学」の普及を背景に、広く人口に膾炙する。さらに言えば、こうした「科学的」催しの最大の受け皿であった万国博覧会が端的に示すように、あくまで―345――345―
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