鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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も当時の覇者である西欧世界を頂点とするヒエラルキーに基づいたこれらの枠組みは、多様な政治的且つ社会的要因が重層的に絡み合った結果の所産であった。例えば1904年に開催されたセントルイス博はその状況を鮮明に示している。当時は「中国人種」や「日本人種」という語が一般に使われており(注3)、博覧会の「人類学部門」展示カタログの口絵には、「ゲイシャ」姿の日本人女性と、辮髪姿の中国人男性のイメージが描かれ、次のような解説が添えられている。「こちらのグラビア図版は、正確を期して説明するために、特別に準備された優れたドローイングに由来するもので、民族学の科学的知識とほとんど同じものであり、原始的または先史時代の人間から現代文明の最高の例へと発展の漸進的な順序で配置された人類の特徴的なタイプを図示しています(注4)。」ここからは、同時代に流通していた文化的ステレオタイプが具体的なイメージとして確立されていること、そして「科学的知識」に基づいて構築されたはずの「人種」概念が容易にそのイメージの内側へと取り込まれていることが明瞭に読み取れ、同時代の「科学」そして近代の「人種」理論の恣意性が露見している。では、こうした思想、ひいては「民族誌学彫刻」が受容された同時代の土壌はいかなるものだったのだろうか。ボードレールによる1846年のサロン評には、人間の類型と理想美に関する彼の思想が垣間見える。 「無限の多様性が極度に顕現するのは、特に人間の場合である。[…中略…]数多の類型を数えるまでもなく、私は毎日、カムルーク人、オセージ人、インド人、中国人、古代ギリシャ人など、多かれ少なかれパリ化された人々を一定数、窓の下に見かける。[…中略…]ラファーターは、同時に顕現する鼻と口の(形態の)命名法をリスト化し、古代の芸術家が宗教的または歴史的な人物にその性格とは異なる形を付与していることから、この種の誤りをいくつか指摘しているほどである。ラファーターが細部を間違えていた可能性はあるが、彼は原則的な理念を有していた。[…中略…]各人にはそれぞれの理想が存在するのである(注5)。」[注:下線は筆者による。以下引用も同様]ここで注目すべきは、ラファーターに代表される観相学の思想と、絶対的な理想美への否定的見解である。18世紀までの観相学と異なり、数値化した外見からその内面―346――346―

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