を捉えることに重点を置き、心理診断としての性質を強めてゆくラファーターの思想は、急激な都市化を迎えた19世紀において、西洋世界で熱狂的な支持を得たが、身体的特徴を類型化しその内面性を理解するという理念を、ボードレールも一定程度共有していたことが読み取れる。一方で、伝統的な古典美の礼賛に対する疑問としては、時代は下るものの、より具体的かつ直截なゴーティエの言及にも注目すべきである。「長い間、彫像は古代の理想とギリシャによって理想化された類型によってのみ独占されてきた。残りの人類は知られていないかのようだったが、ギリシャの芸術家は、エジプト人、ペルシャ人、アジア人、黒人、大理石や真鍮でその形を再現するに値する様々な人種を知っていたのだ。しかし疑いなく、彼らが野蛮人に対して表明していた軽視、つまりヘラスに住まわぬ全ての人に対する軽視なのだが、劣等と見なされるこれらの性質を再現するためにノミを捧げることを妨げていた。人類の4分の3を芸術から除外したこの偏見は、今日まで続いていると言えよう(注6)。」ここでゴーティエは従来のアカデミックな「理想美」に疑問を呈するとともに、彫刻における多様な美の在り方を擁護している。このような指摘は既に17世紀以降度々行われてきたが(注7)、ギリシャ美術を頂点とする「人種」的ヒエラルキーを内包する審美的価値観は19世紀に至るまで支配的であり、それゆえ逆説的にこうした反論がしばしばなされてきたと言えよう。3.「民族誌学彫刻」の実践者:コルディエとロシェ兄弟の言説にみる「類型」と「人種」それでは実際に「民族誌学」や「人類学」を作品制作に応用した彫刻家たちは、自らの「民族誌学彫刻」の位相をどのようにとらえていたのだろうか。まずはコルディエによる、1862年のパリ人類学会での演説内容を参照したい。「私は人類学会に、人類の3つの主要な類型[type]を表す3点の頭部像を提供する栄誉に浴しています。私はこれらの胸像を、再現性や寸法、形状の正確さを保証するため幾何学的な手法を用いて、実物[のモデル(筆者注)]から彫像制作を行いました。[…中略…]多数の個体を検討し比較して、頭の形、顔の特徴、人相の表現を研究します。私は、表現したい人種に共通する特徴を把握しようと―347――347―
元のページ ../index.html#357