さて、ベルリンの国立美術館群中央アーカイヴが所蔵する本作品贈呈に関する資料には、日本で作成されたと考えられるドイツ語の贈呈作品リストが含まれている(注8)。このリスト(全62点)と『尺貫法存続聯盟記念展観六十五品』の図録に掲載された日本画作品65点を照らし合わせると、尺貫法存続連盟記念展観に出品された作品すべてがドイツへ送られた訳ではなかったことがわかる。対照表〔表1〕に示した通り、ドイツ語リストには小川芋銭《待鶏鳴》、鏑木清方《砧》、山川秀峰《卿の君》、廣島晃甫《秋》の4点が含まれず、跡見玉枝による《Kirschbaum mit hängenden Zweigen》という作品1点が加えられている。その理由は今のところ不明だが、いずれにしても、藤原が持参した贈呈品は日本画作品と綴織の双方とも別の用途から転用されたものであった。3.ベルリンでの贈呈式と展覧会藤原はベルリン行きを断念したが、贈呈作品は藤原に随行した王子製紙の中村博吉に託されブレーメンからベルリンへ無事輸送された。外務省の役人で参事官として滞日経験もあるハンス・コルプは、東京のドイツ大使館へ宛てた10月17日付の書簡において、作品が国立博物館に一時保管されていると伝えた(注9)。また返礼品の贈呈を計画していること、さらに藤原の胸像を注文制作し贈呈された絵画作品とともに展示する案を検討する旨も記してある。ただし返礼品や胸像に関する続報は見受けられない。贈呈式に先駆けて、帰国を控えた大島浩在独大使が10月24日にヒトラーと面会し、川端龍子原画の綴織を直接贈呈した。読売新聞の記事は「日本美術に多大の興味を有するヒ総統はこの見事な贈物に非常な感銘を受けた模様であったといわれる」と報じた(注10)。同記事には綴織に加えて「金屏風二双」も贈呈されたとある。『日本美術年鑑』には、8月1日の東京における贈呈品展観において井坂孝よりヒトラーへ贈呈予定の今村紫紅作金地六曲一双《獅子》も同時に陳列されたとの記述があることから、「金屏風二双」のうち一双は本作であったと推察される(注11)。11月27日にはベルリンの国立博物館東アジア部門において贈呈式が開催された。日本側では宇佐美代理大使と藤原および井坂の代理として中村博吉が出席し、ドイツ側については読売新聞および朝日新聞の記事に「スチーヴ外務省文化局長がヒトラー総統とドイツ政府の名において感謝の辞をのべた」とある(注12)。だが、同年6月に文化局長はフリードリヒ・スチーヴからフリッツ・フォン・ツヴァルドヴスキーに交替したため誤報であり、ドイツ側の資料にはフォン・ツヴァルドヴスキーが謝辞を述べたと記されている(注13)。そして同日同会場において贈呈を記念する展覧会が開―26――26―
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