る。ここでは、このタイプが人間の最高の完成形として芸術の世界で受け入れられ、確立された基盤を探る。また、古代ローマ人のように、その勇気と美徳によって世界で最も大きな帝国を築くことに成功した人たちの姿を探してみよう(注9)。」ロシェの論考は、コルディエが主張した「普遍的な美」とは異なり、彼が特にギリシャを頂点とする理想美のヒエラルキーを支持していたことが明確に示しているが、一方で「人種」概念は人間の本質を追求するものであり、それゆえに「科学」ではなく、芸術がその探求の役割を担う責を負うと述べている。そしてその結果として生み出される芸術作品は「人種」を正確に表現する「標本」として機能しうると主張している。「人種」概念を考察するにあたり、芸術こそが「科学」的な「人種」理論に貢献しうるという思想は、後年のロシェの言説にも見て取れる。「プロトタイプ[prototype 典型例]の科学への導入について。さて、もしもこの二重のプロトタイプ(体と頭のプロトタイプ)が科学に認められたとしたら[…中略…]個人、民族、人種を研究し、定義することが容易になります[…中略…]科学には常に基準が求められますが、ここにはその基準があります。そしてさらには科学においては、私たちの心の範囲と知識の価値に応じて、すべての人種を判断し、すべての民族を評価するための、私たちの種のタイプのイメージを、多かれ少なかれ、脳内に持ち合わせているのではないでしょうか?[…中略…]自分の中にある自分のイメージは、繰り返しになりますが、私のプロトタイプが完璧に、最も一般的に、最も完全に表現しているものです。そして、そこから出発して、目に見える人間の状態から離れて、目に見えないもの、道徳的なものや知的な存在と呼ばれる人間の状態にアプローチしても、同じではないでしょうか。私たちは皆、このような考え方の順序で、自分の心の状態や知識の程度に応じて、人間の完全性や優越性についても考えているのではないでしょうか。人類のいたるところに、このような理想的な人間像が存在しています(注10)。」興味深いことに、このロシェの論考の掲載に関する人類学会での審査の状況の議事録が、後記として論考に付与されている。これはおそらく、ロシェのこの論考が、晩年のロシェが自己の業績の顕彰を目的として投稿した論説であると人類学会が認識し―350――350―
元のページ ../index.html#360