注⑴東光院および伝来した仏像については『東光院の仏教美術』(福岡市美術館、1985年)を参照。⑵東光院に伝来した諸像は、昭和49年(1974)に福岡市へ無償譲渡され、昭和54年(1979)に福類似を見出し造形に反映させることができたのではないだろうか。年岡市美術館が開館してからは、同館の所蔵となっている。⑶伊東史朗「祇園社旧本地観慶寺薬師如来立像について─覚助・長勢時代の研究─」『國華』1132号、1990年⑷末吉武史「九州の仏像─平安神将形像と八幡信仰─」『九州の中世Ⅳ 神仏と祈りの情景』高志書院、2020年⑸飯沼賢司「権門としての八幡宮寺の成立─宇佐弥勒寺と石清水八幡宮の関係─」十世紀研究会編『中世成立期の歴史像』東京堂出版、1993年同『八幡神とはなにか』角川学芸出版、2004年⑹『大日本古文書 家わけ第四 石清水文書之二』⑺『石清水祠官系図』⑻本稿では政治機構としては「大宰府」、地名としては「太宰府」の表記を用いる。⑼治安4年(1024)4月15日付大宰府符(『平安遺文』4918号)⑽岡野浩二「筑前観世音寺の組織と経営」『中世地方寺院の交流と表象』塙書房、2019年⑾『石清水祠官系図』⑿大治2年(1127)11月10日付筑前国牒案(『平安遺文』2110号)など⒀『宮寺縁事抄』(所司僧綱昇進次第)⒁『叡山大師伝』延暦22年(803)閏10月23日条⒂前掲注⑽岡野論文⒃『石清水祠官系図』⒄康和3年(1101)3月16日付大宰府政所下文案(『平安遺文』4954号)⒅前掲注⑸飯沼論文⒆武笠朗「兵庫・東山寺蔵石清水護国寺旧在の大江匡房奉納真快作十二神将像」『佛教藝術』203号、1992年⒇吉原浩人「大江匡房と八幡信仰」『早稲田大学大学院文学研究科紀要別冊』9号、1983年前掲注⒆武笠論文「石清水文書」54号(『新修福岡市史』資料編中世②)前掲注⑷末吉論文前掲注⑷末吉論文武笠朗「京都・清水寺慈心院の毘沙門天立像」林温編『仏教美術論集1 様式論:スタイルとモードの分析』竹林舎、2012年藤岡穣「興福寺南円堂四天王像の再検討─新たな運慶イメージの構築─」『東アジア仏像史論』中央公論出版、2021年瀨谷貴之「興福寺四天王像の再検討─その肉身色を手掛かりとして─」『美術史』147号、1999上島亨「大規模造営の時代」『日本中世社会の形成と王権』名古屋大学出版会、2010年―382――382―
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