近年の成果としては伊藤幸司『中世の博多とアジア』(勉誠出版、2021年)、大庭康時『博多の考古学─中世の貿易都市を掘る─』(高志書院、2019年)が文献史学、考古学における中世博多研究の到達点を示すものとして注目される。永長2年(1097)、大宰権帥源経信が太宰府で没した時、「博多にはへりける唐人とも」が弔問に訪れたことが、『散木奇歌集』に記される。西教寺蔵「両巻疏知礼記」上巻奥書、永久4年(1116)井形進『薩摩塔の時空』花乱社、2012年博多湾岸には数列の砂丘が形成されていて、砂丘上には博多遺跡を含む多くの遺跡が残る。東光院は、博多遺跡群の東側の砂丘上に形成された吉塚遺跡群内に位置する。同遺跡群は、本稿執筆時点で18次にわたって調査が実施され、その成果が報告されている。それらによれば、同遺跡群からは博多には及ばないものの中国陶磁の出土例がある。また、東光院境内の確認調査により、当院建立に伴う可能性が考えられる後背地の埋め立てが確認され、土中より12、13世紀代の瓦が多量に出土しているという。(『福岡市埋蔵文化財調査報告書第778集 吉塚8─吉塚遺跡群第9次調査報告書─』福岡市教育委員会、2003年)。井形進「堅粕薬師と東光院の仏像─古代・中世の彫像群を中心に─」九州歴史資料館編『堅粕薬師と東光院の古仏たち』2018年同「九州の中国渡来の石造物」『九州の中世Ⅳ 神仏と祈りの情景』高志書院、2020年林文理「博多綱首の歴史的位置─博多における権門貿易─」大阪大学日本史研究室編『古代中世の社会と国家』1998年―383――383―
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