㊱ 白隠慧鶴筆「蛤蜊観音図」の研究─御伽草子『蛤の草子』からの影響─研 究 者:早稲田大学會津八一記念博物館 学芸員 柿 澤 香 穂はじめに臨済宗中興の祖と仰がれる白隠慧鶴(1685-1768)は、庶民教化のために膨大な書画を揮毫した。その画題は多岐に亘り、室町時代以来、禅林社会において好まれた釈迦や達磨、菩薩などの仏教的画題に留まらず、庶民信仰にもとづく新しい画題や戯画なども手がけた。中でも「蛤蜊観音図」は、白隠以前の絵画作例が少なく、またその着想源や図像についての詳細な検討がなされていない画題である。本研究では、白隠画の受容者が庶民であったことから庶民文学との関連性に着目し、白隠が「蛤蜊観音図」を描いた背景に、同時代に流行した御伽草子『蛤の草子』の存在を指摘する。また白隠の創案である可能性が指摘される本作の表現(注1)については、草双紙など庶民文芸との関わりを示す。これらによって、これまで主に白隠の独自性が指摘されてきた表現が、同時代の庶民文化に支えられて誕生したものである可能性を提示したい。1 蛤蜊観音とは蛤蜊観音は「コウリ観音」あるいは「ハマグリ観音」と呼ばれ、近世の仏教図像に関する百科事典的書物である『仏像図彙』〔図1〕にみられるように、蛤と縁の深い観音菩薩である。同書に「蛤かふ蜊り観音/菩薩身/唐文宗帝大和五現」と記されている通り、蛤蜊観音は経典に由来するものではなく、蛤を好んだ唐の文宗帝の逸話に由来する。その内容は、文宗帝の食事に出た蛤の中に口を開かないものがあったため、香を炊いて祈ると、その蛤はたちまち菩薩の姿に変じたというものである。これは988年に成立した『宋高僧伝』巻11巻「唐聖寿寺恒政伝」に載る逸話で、『法華経』第二十五品(以下「観音経」と称する)を踏まえた言葉が見いだせる。同内容は、14世紀には中国から日本に輸入された『景徳伝燈録』(1004年)巻第4「前嵩山普寂禅師法嗣忍大師第三世条」や江戸時代に古活字版が流布した『仏祖統紀』(1269年)巻第42「文宗開成元年正月条」等の中国の仏教書にも確認できる他、日本の書物に限れば戦国時代の『月菴酔醒記』にも記されている。このように蛤蜊観音は上記の書物が日本に輸入されて以降、少なくとも僧侶たちには知られていたと考えられる。「観音経」には、観世音の名を唱える相手に応じて観音菩薩が仏身、辟支仏身、声―387――387―
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