鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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聞身など33の姿に変じ、あらゆる場面に出現し衆生を救うことが説かれている。この観音三十三身に対応して示現する33種類の観音菩薩が、おそらく江戸時代以降日本で作られ、三十三観音が誕生した。この33種は中国や日本の逸話から考案されたものが多く、中国の逸話を背景に誕生した蛤蜊観音もまた、ここに組み込まれたのである(注2)。2 白隠以前の「蛤蜊観音図」蛤蜊観音の絵画作例は、同じ三十三観音の中でも白衣観音や楊柳観音などと比較して非常に少ない。現在確認できている白隠以前の「蛤蜊観音図」の内、最も古い作例としては、室町時代頃の作と考えられる月江寺所蔵の「蛤蜊観音図」〔図2〕が挙げられる。本作に落款はなく、「智袁」(白文長方印)と読めると思われる印章が捺されるが、作者は詳らかにしがたい。その図様は、画面右上に月を配し、その月明かりに照らされた波打つ水面に、体を覆う大円相に身を包んだ白衣の観音が、わずかに口を開けた大きな蛤の中から現れる姿を描く。観音は蛤の縁に腕を乗せてしどけなく体を預ける優美な姿勢をとる。目尻を緩やかに上げた大きな切れ長の目、口元は口角を上げながら軽く結び、微笑を湛えるその顔貌はどことなく唐様で、画面全体には薄墨によって、静謐な尊像が夜の海上に神秘的に浮かび上がる。また、狩野探幽(1602-74)筆「蛤蜊観音図」(公益財団法人アルカンシエール美術財団/原六郎コレクション蔵)〔図3〕も確認できる。本作は、白衣を纏う観音が、波の上に浮かぶ大蛤の中から身を乗り出すような姿勢で出現する様を描く。観音の唇や頭部の蓮華装飾、胸部の瓔珞には朱や金泥によって淡く彩色が施され、簡略ながらも抑揚のあるたしかな筆致が見て取れる。月江寺本と同様に、円光の内側には彩色を施さず無地のままとし、背景には薄墨をはいている。画面右端に「探幽斎筆」の落款と、「法眼探幽」(円内主文法印)があることから、探幽が法印になる寛文2年(1662)以前の制作であることがわかる(注3)。その他、狩野如川周信(1660-1728)筆「蛤蜊観音図」(板橋区立美術館蔵)や秋月等観(生没年不詳)の落款が見られる「蛤観音図」(松浦武四郎記念館蔵)、また白隠門下の禅僧による「蛤蜊観音図」が確認できるが、現在確認できた白隠以前の作例は、概ね正面か斜めを向く姿で大きな蛤の中から直接その身を現す。作例が少ないため今後もさらなる調査を進め多様な図様を検討する必要はあるが、現存作例が極端に少ないことは、蛤蜊観音が画題としては一般的ではなかったことを示しているのではないだろうか。―388――388―

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