鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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⒀”Hochherziges Geschenk eines japanischen Industriellen“, Deutsches Nachritenbüro, 27. ⒁”Ausstellung japanischer Gemälde in Berlin“, Völkischer Beobachter, Wiener Ausgabe, 29. ”Ein Weg zwischen den Herzen der Völker“, Der neue Tag, 12. Mai 1942, S. 3. Ute Haug, Der Kölnische Kunstverein im Nationalsozialismus, Dissertation, RWTH Aachen, ⑻”Katalog der Deutschland gestifteten modernen japanischen Gemälde“, SMB-ZA, I7/MfV, OAK12. リストには贈呈の喜びを伝える藤原の序文が付随する。またリストでは上村松園の姓をKamimuraと記すなど若干の誤記が見受けられる。⒂”Bilder aus einer japanischen Ausstellung“, Freude und Arbeit, 5(1), Januar 1940, o. S. 同誌November 1939, Abendausgabe (SMB-ZA, I7/MfV, OAK12).November 1939, S. 5. なお閉会日は不明。OAK12)。MfV, OAK12)。OAK12)。島屋本社、1960年、184頁。安松氏は本作がヒトラーの山荘ケールシュタイン・ハウスに飾られた可能性を指摘している。前掲注⑴、127~128頁。⑹『日本美術年鑑』美術研究所、1941年、114頁。⑺『尺貫法存続聯盟記念展観六十五品』序文の記載による。『日本美術年鑑』では「尺貫法存続連盟壁画展」(5月27~28日、京都・華族会館)との情報がありこれに該当するものと思われる。『日本美術年鑑』美術研究所、1941年、57頁。東京展の詳細については不明。⑼コルプよりドイツ大使館宛書簡、1939年10月17日付(SMB-ZA, I7/MfV, OAK12)。⑽「大壁掛にヒ総統満悦」『読売新聞』1939年10月25日、朝刊7面。⑾同上。『日本美術年鑑』美術研究所、1941年、68頁。⑿「藤原翁のお土産独政府へ贈呈式」『読売新聞』1939年11月28日、朝刊7面。「日本絵画独へ贈呈」『朝日新聞』1939年11月29日、夕刊2面。はドイツ労働戦線の外郭団体であった国際中央事務局「歓喜と労働」の機関誌。⒃「富士の大油絵献上」『朝日新聞』1938年7月9日、朝刊11面。⒄「独外相の謝電に藤原翁恐縮」『読売新聞』1939年12月14日、朝刊7面。⒅文部大臣よりケルン行政管区長宛書簡、1940年2月9日付(SMB-ZA, I7/MfV, OAK12)。⒆詳しくは次を参照。佐藤道信「伯林日本画展覧会」平山郁夫、小林忠監修『秘蔵日本美術大観7』講談社、1992、275-282頁。⒇プロハーゼル行政管区長より文部大臣宛書簡、1940年3月29日付(SMB-ZA, I7/MfV, カッセル市議会員より文部省芸術部門局長ヘルマン宛書簡、1940年4月8日付(SMB-ZA, I7/カッセル市議会員よりキュンメル宛書簡、1940年9月30日付(SMB-ZA, I7/MfV, OAK12)。キュンメル代理人よりカッセル市議会員宛書簡、1940年10月3日付(SMB-ZA, I7/MfV, 1998, S. 208.ケルン市立東アジア美術館アーカイヴ担当者クレーファー氏へのメールでの照会およびクレーファー氏によるケルン芸術協会への照会による(2022年10月)。前掲注。前掲注⑷。―30――30―

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