注⑴蛤蜊観音とともに龍王をはじめとする海の生物を頭に載せた衆生を描くのは、白隠の創作であることが指摘されている。(浅井京子「白隠の描いた観音図」『早稲田大学會津八一記念博物館研究紀要』第7号、2006年、4頁)おわりに本稿では、白隠筆「蛤蜊観音図」について考察するにあたり、まず白隠以前の絵師や画僧による同画題の絵画作品を比較検討し、蛤蜊観音は絵画化されることが稀であったことを指摘した。その上で、白隠が蛤蜊観音という稀有な画題を選択した背景に、御伽草子『蛤の草子』の存在があることを考察した。蛤の放生と親孝行をした主人公が観音菩薩の利益により富と長寿を得る『蛤の草子』は、観音信仰をもとに誕生した教訓的な仏教説話として好題材であり、当時の人々にも親しまれた説話であった。この物語の存在があったからこそ、庶民教化の一つの手段として、蛤蜊観音を積極的に描いたのではないだろうか。また、図様については、庶民文芸の一つである草双紙や浮世絵などとの共通点が見出せ、これについては今後さらに検討を進めたい。「蛤蜊観音図」は白隠画の中でも図様の独創性が指摘されてきた。しかし、画題選択の背景や図様の典拠に当時の庶民文芸の存在があることは、言い換えれば、白隠作品の受容者が庶民であったがために、同時代の庶民に親しい文化に寄り添い、その要素を抽出し、再構築した結果特異な図様が誕生したと言えるだろう。庶民文芸と白隠画との関わりについてはこれまであまり指摘されてこなかったが、新奇な表現が注目されてきた他の白隠画においても、当時の庶民文化との関わりを再検討する必要があるように思う。⑵鎌倉時代の事典『二中歴』巻19には六観音、二十五観音、三十三観音が載るが、その中に蛤蜊観音は見えない。蛤蜊観音を含む三十三観音を列挙した日本の書物は、管見の限り『仏像図彙』や『観音経和談抄』(天保4年(1833)刊行)等、近世以降のものである。⑶本作については、ニューヨーク・バーク・コレクションの「笛吹き地蔵図」と同巧、同時期の制作と指摘されている。(『御殿山原コレクション─三井寺日光院障屛画を中心として─』根津美術館、1997年、108頁)⑷花園大学国際禅学研究所『白隠禅画墨蹟』【禅画篇】二玄社、2009年、No.170⑸白隠の著作や墨蹟には「壽」の字に白隠自ら「イノチナガシ」とルビをふっているものが多数確認できる。⑹お福が纏う着物の袖に「壽」の文字が表されており、白隠作品にはよく見られる。同表現は草双紙に散見されることから、擬人化された海洋生物の表現と同様に、草双紙からこうした表現を引用しているのではないか。⑺廣田氏は、『蛤の草子』諸本の中でも、高安六郎旧蔵本と渋川版との差異を比較し、前者が浄―394――394―
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