㊲ 典礼注解書におけるキリスト教的シンボルの意味と意義─マンド司教グイレルムス・ドゥランドゥスを中心に─研 究 者:清泉女子大学 文学部 准教授 坂 田 奈々絵はじめに本稿で中心とするのは、マンド司教グイレルムス・ドゥランドゥス(以下、ドゥランドゥス)の『聖務の理論』(Rationale Divinorum Officiorum)をもとにした、盛期中世の西ヨーロッパにおける教会建築のシンボリズム的理解の実際とその理論的背景、そして思想史的文脈である。そこで、申請時に提出した研究計画に基づき、まずドウランドゥスとその著書『聖務の理論』の基礎的な説明(①)を行った後、この書物における教会建築の神学的解釈の実際(②)を紹介した上で、ドゥランドゥスの神学的枠組みにおける象徴的解釈の位置づけ(③)について分析し、その上で当該の書物の集成としての性質を踏まえ、同書に至る教会の象徴的解釈の系譜について整理することで、教会建築が象徴的解釈の対象となり、さらに典礼解釈に組み込まれる過程について概観する(④)。① ドゥランドゥス(注1)と『聖務の理論』『聖務の理論』を著したドゥランドゥス(Guillelmus Durandus, 1230頃-1296)はフランス南部ピュイミソン出身の教会法学者である。彼はボローニャ大学にて法学を学び、1263年頃から教皇庁に仕え、内政と外政の両面で多岐にわたる活躍を見せた。そして1285年4月25日に南仏・マンドの司教に選出され、1291年に同地に赴任した。1295年にはボニファティウス八世からのラヴェンナ大司教着任への要請を受け、同年に教皇庁に戻り、マルカ・アンコニターナとロマーニャの統治者に任命される。その後、彼は1296年11月1日にローマにて没した。その遺体はローマにあるドミニコ会の教会、サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァに埋葬されている。その生涯において、ドゥランドゥスは様々な執筆活動を行った。彼の主著としては、訴訟の手続きなどについてまとめた『裁判の鏡Speculum iuris』(1271-76年刊行、後増補改訂)、『教会法黄金目録Repertorium aureum iuris canonicis』などが挙げられる。他にも、司祭養成のための典礼マニュアル『手ほどきと憲章Instructiones et Constitutiones』(1292-3年、1294-5年に改訂)や、マンドの教会のためにミサ通常文の改訂(Ordinarium Ecclesiae Mimatensis)を行っている。また1292年から1293年にかけて『司教典礼書』の編纂も行った(注2)。そして本研究において注目している―399――399―
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