挙げる。その上で、旧約聖書を下敷きに、教会建築の歴史的なルーツを語り、礎石の設置や方角の決定といった、具体的な建造のプロセスに関わる部分をまとめる。そして教会建築全体の構造と、教会共同体の寓意的な対応関係について語った後、教会の部分についての歴史的・寓意的・転義的説明を行う。そして教会建築の中での人の振る舞いや扱い(特に女性と逃亡者)、また最後に教会の移築について説明する。この中で最も詳細に語られているのが、教会の各部分である。具体的には、石材やセメントのような素材、部材の配置、壁、土台、外壁、内陣、アプス、アトリウム、塔、雄鶏、塔頂、窓、窓の前の柵、扉、柱、舗装、梁、司祭席、天井と垂木、内陣席、説教壇、朗読台、時計、香部屋、祭壇近くの手洗い用の桶、照明、聖堂内の十字架、回廊、回廊に付属する様々な仕事場、司教座、そしてそれ以外の部分が挙げられる。これらは様々な宗教的象徴として解説されているのである。例えば、教会の素材はアマラリウス(Amalarius, 770頃-850頃)の『典礼学概論』をもとに以下のように語られている。10セメントは石灰と砂と水からできている。これなしに壁は固定されることはない。石灰は燃えるカリタスである。それは砂、つまり地上の物事をそこに結びつけるのだ。なぜなら真の愛(カリタス)は、やもめや老人、孤児、弱い人びとのための最大の配慮に混ぜ込まれているからだ。…(中略)…石灰と土は壁を造るために役に立つ。水、つまり聖霊を混ぜることで接着することができる。セメントがなければ壁の石がともに安定して接合されることのないように、聖霊が突き動かすカリタスがなければ、天上のエルサレムを造るために、人びとをともに結びつけることはありえない。磨かれ、四角く整えられ、洗練され、堅固な壁の石はすべて、聖人たちである。すなわち、最上の職人の手によって教会に確固として置かれている。それらの内で、ある石は支えられ支えることはないが、それは、教会の中のより単純な者たちのことである。そしてある石は支えられ、支える。これは中間の者たちである。他のものを支えつつ、また唯一の基礎であるキリストお一人を除いては、誰からも支えられることがない石は、完全な者たちである。生ける石が平和の接合により結びつけている間は、まるでセメントのようにひとつの愛がまったくすべての人が結び付けられているのである。…(後略)…(注7)ここでは具体的なセメントの製法に基づいて、原材料である石灰と水、土などを、―401――401―
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