の魂の美しさであり、我らの不滅の栄光として理解される。私達はこうしたことをはっきりと見ることはできない。(注13)ここでは二節の流れを承けて、「予型」についての説明が行われる。この「予型」の原語はfiguraで、二節では「形象」と訳出したものである。Figuraは「型」を意味し、旧約の出来事を新約の先取りとして読み解く、いわゆる予型的解釈の文脈で用いられてきたものである。それを踏まえて、ドゥランドゥスはここに上述の歴史的「予型」としてのfuguraと「形象」としてのfiguraの二重の意味を見出す。つまりイエス以後の「新約」の時代にあっては、その「予型」であるところの旧約聖書の時代はすでに過ぎ去っている。しかしそこにあっても、依然として儀式においては「形象figura」が用いられる。この理由は、「はっきりとは見ることができない」、つまり人間には通常知覚不可能な神からの恵みや救いを、理解し知るためなのである。こうした「形象」には、先述した第四巻の記述にあるように、建築や画像、言葉そのものや歌、また解題されなければわからないような動きや色彩、数といった様々な要素が含まれている。そして「形象」の具体的な解釈にも聖書解釈の理論が転用される。特に彼が重要視するのは、聖書の四重の解釈である。序章九節では「神的な書物には、歴史的意味、寓意的意味、転義的意味、そしてアナゴーゲー的意味がある(注14)」と説く。これらはカッシアヌス(Ioannes Cassianus, 360頃-430頃)やヒエロニムス(Hieronymus, 347頃-420)らによってまとめられ、西洋中世キリスト教世界ではある種定式化され普及していた聖書解釈法である。つまり、特に旧約聖書のテキストの特定の句や逸話を解釈するに際しては、歴史的な事象を描いたものとして読み解く場合、寓意的な意味を含むものとして読み解く場合、また倫理的な意味をもつもの、そして終末的な意味を持つものとして読み解く場合の、四通りがあるという考え方である。ドゥランドゥスは各読解理論について、ヒエロニムスの聖書注解やシカルドゥス(Sicardus Cremonensis, 1155頃-1215)、プラエポシティヌス(Praepositinus 1135頃-1210)の典礼注解書に依拠しつつ説明した後、「教会の事物や聖務における多彩さの理論は、4つの意味、つまり歴史的、寓意的、転義的、アナゴーゲー的なものにより、信仰を中心に彩られているのだ(注15)」と綴る。とはいえ、『聖務の理論』の実際の解釈を観てみると、四つの解釈は全てに登場するわけではなく、歴史的な由来と寓意的意味が集中的に扱われている。これはドゥランドゥス自身の創意というよりも、聖書解釈の歴史の中でも、しばしば「寓意的解釈」、つまりallegoriaの中に、転義的解釈やア―404――404―
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