㊳ 北欧における染織文様の研究─フィンランドにおけるリュイユ織を中心に─研 究 者:京都国立近代美術館 研究員 宮 川 智 美リュイユとは、フィンランドの毛足の長い織物で、15世紀にはすでに寝具として文献に記述が見られるという。リュイユの歴史が語られる時、大きな転機とされるのは、1900年のパリ万国博覧会で画家のアクセリ・ガッレン=カッレラ(Akseli Gallen-Kallela)が、フィンランドのパヴィリオンの室内装飾としてアール・ヌーヴォーの影響を受けたリュイユをデザインしたことである〔図1〕。その後、デザイナーと織り手が協力し、主に壁掛けとして新しいデザインを制作し始めると、糸による色調の効果を追求するような作品が見られるようになる。さらに、ファイバー・ワークと呼ばれる染織作品の立体化や表現の多様化と呼応するように、作品の形状も複雑化していった。本稿では、こうしたリュイユの歴史の語り方について先行研究を整理するとともに、トゥオマス・ソパネン・コレクション(以下、TSCと表記)のリュイユを中心に、表現の変化とその技法について明らかにする。1.リュイユ史の記述と模様の分類リュイユは当初、民間で使用される日用品であり、これが顧みられるにはきっかけが必要だったと考えられる。その重要な一つが、フィンランド国立博物館で当時民族学部門主任を務めていたU. T. シレリウスによる『フィンランドのリュイユラグ』の刊行であり、1924年にフィンランド語、その2年後には英語で出版された同書はその後のリュイユ研究の基礎となる(注1)。リュイユはまず、芸術家などによって収集が始められた。例えばガッレン=カッレラは、1880年代にはすでにいくつかの中央フィンランドのリュイユを所有していたとされ、彫刻家のエーミル・セーダルクロイツ(Emil Cedercreutz)は1900年初めにサタクンタ地域のリュイユの収集を始めていた。シレリウスは、1910年に貴族の邸宅で行われた家内工業製品の展示会で出品された各地方のリュイユに関心を寄せ、博物館のために購入したという。その後1918年にアート・ディーラーのイーヴァル・ホルハンメル(Ivar Hörhammer)が、自身が収集した100点以上のリュイユによる展覧会をシレリウスと共同で企画する。シレリウスは、この時の展覧会パンフレットにリュイユの歴史についての記事を書いているが、1922年のヨーロッパ調査を経て、同書の刊行に至ったという。シレリウスは同書において、フィンランド各地の城に残されたリュイユ及びブラン―409――409―
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