鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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3.リュイユの織り手と技法先行研究によるリュイユ史を踏まえると、リュイユの作り手の変遷は簡潔に次のように言える。まずは日用の寝具などフォーク・アートとして、家庭内で名前の残らない作り手(①)により制作された。その後、壁掛けや敷物として画家やデザイナーによって、時代に即した新たなデザインが制作される。これは、ガッレン=カッレラやブロムステッドなどの画家、またブルンメルやシンベリ=アールストロムなどのデザイナーが作家として認識されるが、実際の製作は織工の手(②)になる。同時に、こうしたデザインを一般家庭向けの製作キットにして販売しているため、アマチュアの名もなき作り手(③)の場合もある。一時期は、輸出用の需要に応えるために機械生産(④)も取り入れられた。さらに、表現や技法が多様化するなか、クッカスヤルヴィのようにテキスタイル表現をおこなうアーティストが登場してくる。作家によって表現やその意図は異なるが、リュイユの変遷における大きな変化は、長方形に限らない作品の形状が見られるようになり、異素材が用いられ、また立体感のある作品もみられることだろう(⑤)。①は、先行研究においてすでに模様の分類が充実しており、基本的な技法は同じため本稿では割愛するが、以下それぞれTSCの作品を挙げながら見ていきたい。②において重要な役割を果たしたのは、フィンランド手工芸友の会(Suomen Käsityön Ystävät、英語ではThe Friends of Finnish Handicraftと表記される。以下、SKYと表記)という団体である(注10)。例えば、1900年パリ万博において、フィンランド館の「イリス・ルーム」は、ガッレン=カッレラが全体をデザインしているが、室内装飾として出品された染織品はSKYによって製作された(注11)。SKYは、画家のファンニ・チュールベリ(Fanny Churberg)と建築家のヤック・アーレンベリ(Jac Ahrenberg)が1879年に設立した団体で、外国からの影響で忘れられつつあった、その土地の手工芸の技術や装飾模様についての復興や保存を活動の目的としていた。土着の模様などは、新たな製品に応用されて販売されており、彼らが扱った主な製品がリュイユである。パリ万博での成功を受け、SKYは画家をはじめとしたアーティストと共に仕事をする重要性を認識し、1900年にはブロムステッドを正式に雇用する最初のアーティストとして迎えている。SKYの120周年を記念する出版物に掲載された歴代の職員録を見ると、こうしたアーティストやその他店員などの名前の中に、14名の織工を見出すことが出来る(注12)。ブルンメルやシンベリ=アールストロムの作品のような水彩でデザイン画が描かれる作品─いわゆるヴァローリ・リュイユは、織り図に落とし込むことが困難な場合もあり、織り手にはデザイナーの―413――413―

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