④ ティツィアーノ作《知恵》研 究 者:慶應義塾大学ほか 非常勤講師 細 野 喜 代1 はじめにサン・マルコ図書館(現在の国立マルチアーナ図書館)〔図1〕(注1)は、ヴェネツィア共和国の表玄関であるサン・マルコ小広場に面し、向かいに統領宮殿(統領の公邸、ヴェネツィアの行政、立法、司法機関、牢獄を含む複合建築)、斜め前にサン・マルコ聖堂(統領の私的な礼拝堂)が位置する。建設の主目的は1468年にベッサリオン枢機卿(1403-72年)がヴェネツィア共和国に寄贈した貴重なギリシア語とラテン語の写本コレクションを収蔵することだった(注2)。だが当時ヴェネツィアはイタリア本土への領土拡大政策を取っており、写本は箱に入ったまま統領宮やサン・マルコ聖堂の片隅に放置された。1509年のカンブレー同盟戦争での敗北後、統領に就任したアンドレア・グリッティ(1455-1538年、在位1523-38年)は、ヴェネツィア共和国を、ローマ劫略(1527年)で荒廃した教皇の都ローマに代わって古典古代の再生を担う「新たなローマ」として、またフィレンツェ共和国滅亡(1530年)後はイタリアで唯一自由と平和を守れる存在として新たに位置づける戦略を立てた。もはや戦争に勝てない以上、平和な文化国家という新たなヴェネツィア共和国のイメージを提示しようとした(注3)。図書館はその一環としてサン・マルコ財務局によって計画、実現された。推進者はサン・マルコ財務官ヴェットール・グリマーニ(1495/97-1558年)らであった。知と文化の中心地、洗練された芸術の都としての新たなイメージを創出するためには、首都である都市ヴェネツィアを刷新する必要があった。そこで中部イタリアで確立した古典主義の建築様式を導入した。設計者はローマ劫略から逃れてヴェネツィアに到来し、1529年にサン・マルコ財務局の造営主任に任命された彫刻家・建築家ヤコポ・サンソヴィーノ(1403-1570年)である(注4)。1537年に鐘楼付近から開始された建設は1553年に16柱間まで完成し、内部装飾が行われた。入口から大階段を上がると二階に玄関ホールと図書室がある。まず1553-59年に大階段天井にストゥッコとフレスコによる装飾が施された〔図2〕。ストゥッコ担当はアレッサンドロ・ヴィットーリア(1525-1608年)、フレスコ担当はバッティスタ・フランコ(1510頃-61年)(1階から踊り場まで)とバッティスタ・デル・モーロ(1514-75年)(踊り場から2階まで)であった。次に1556-57年に図書室の天井装飾が行われ、ヴェロネーゼら7人の画家が3枚ずつ計21枚の円形画面を描いた〔図3〕。最後に1559-60年に玄関ホールの天井装―34――34―
元のページ ../index.html#44