鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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の比較をした。「絵画」制作に関する科目は、東京の2機関よりも京都の方が重視していた。京高工図案科の初代教授であり「画学及画学実習」を担当していた浅井忠は、図案制作においてまず絵を描く技術を習得させることを目指しており(注28)、美工図案科を指導していた教員たちも絵画制作を背景としていたことが要因になったと考えられる。また「用器画(図学)」については、京高工がほかの3機関の3倍ほどの時間を割いていたことが特徴といえる。これは、同校で制作された図案にも発揮されており、美校の平常作品と比較して、より図面的な制作姿勢をとっている。「実習」科目については、美校、東高工、美工は図案制作に関する全科目の時間数の半分以上を割いていた。美校、東高工は6から7割、美工にいたっては「実習」が9割を占める。一方で京高工は、時間数においては、新案制作に割いていた時間が図案制作に関わる科目全体の3割程度にとどまっている。今回の調査研究ではこのような「実習」科目内で制作された作品のうち、美校図按科で制作された通常課題作品5点の実物資料を調査することができた。具体的な作品を以下にあげる。・日吉守《DESIGN FOR A SHOW CASE》(明治42年(1909))・小川正雄《洋風室内図案》(明治44年(1911))・高橋昇太郎《刺繍応用壁張図案(四季草花)》(明治44年(1911))・今和次郎《金地色蒔絵螺鈿入重箱図案》(明治45年(1912))・信田了平《椅子布団図案》(明治45年(1912))明治40年代に制作されたこれらの作品は、高橋昇太郎(1888-1965)と小川正雄(生没年不詳)のものは卒業制作、それ以外の3点は平常制作作品であることから「実習」内で制作されたものである。日吉守(生没年不詳)の《DESIGN FOR A SHOW CASE》は、呉服店のショーウィンドウを想定したもので、正面、側面、平面、外観パースの4点が1枚に描かれている。西洋風の装飾が施された外観のなかに家紋のレリーフが付属しているなど、和洋が折衷した図案となっている。信田了平(生没年不詳)の《椅子布団図案》は、植物がアール・ヌーヴォー風に図案化された作品であり、同様のものは京高工の課題作品にもみることができる(注29)。《刺繍応用壁張図案(四季草花)》を制作した高橋は、美校図按科に入学する以前の明治38年(1905)に美工図案科を卒業し、美工時代の卒業作品《芍薬模様衝立図案》も京都市立芸術大学芸術資料館に現存する(注30)。ふたつの作品を比較すると、技術的な向上はいうまでもないが、美工時代の作品がアール・ヌーヴォーを意識したものだったのに対し―430――430―

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