鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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四羽の水鳥〔図6〕はごく簡潔な描法だが、線の肥痩により嘴や首や翼までも描き分ける。鳥のいる水景部分は、水流に沿ってうっすらと筆のストロークのようなものが見え、ごく淡い墨を刷いていた可能性も考えられる。巻末の遠山の上にも同様の痕跡が認められる。最前景の赤く染まった三本の樹〔図7〕は、抑揚ある弧線で枝幹を描いている。特に幹の渇筆線は極めて巧みで、穂先の割れた状態で滑らかな紙面をすべらせた運筆の痕が残っている。画中で最も目立つ柳〔図8〕は、毛髪のように繊細な墨線に微細な強弱をつけ、長く垂れた枝と短く軽い枝を描き分ける。葉〔図9〕は幅広に藍を刷き、墨線で一葉ごとの輪郭を描く。色面と墨線は厳密には重なり合わず、葉の輪郭の接点も開き、軽やかな印象を与える。これはさらさらとした葉の質感と風になびく残像の表現を両立し、現実の柳を見る感覚に近づけようとしたものと考えられる。また、枝の分かれ目の葉のない箇所には藍を塗らないなど細やかな配慮も見られる。主山〔図10〕の点描は麓の小樹形から頂上の米点まで連続的なリズムで打ちつける。山頂付近でも赤い点は樹幹の表現として区別される。左の山〔図11〕の輪郭の外側には下描き線が見え、巻末は汀の蛇行線で閉じられる。3、柳を描くのは簡単か─董其昌との比較惲寿平の画論には董其昌に反抗する意識が見られ、特に筆墨や再現性への考え方は大きく異なる。董其昌が筆墨こそ絵画が実景よりも優れる点であると主張するのに対し(注9)、惲寿平は筆墨自体に傾倒することなく、その先にある絵画本来の目的を重視する(注10)。「花隖夕陽図巻」の主役、柳の描法についても惲寿平は董其昌と反対の意見を述べる。柳は最も作り易からず。宋以上は無論風流古澹なり。吾恵崇・大年を愛し、柳を画く毎に必ず以て規矩と為す。(惲寿平『甌香館画跋』巻12)(注11)ここで反論の対象となっている董其昌の文章は以下である。宋人多く垂柳を写し、又た点葉有り。柳は画き難からず。只だ枝頭を分かちて勢を得るを要するのみ。(董其昌『容台別集』巻4)(注12)―438――438―

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