同趣旨の文章は唐志契(1579~1651)『絵事微言』にも収録され(注13)、どちらが初発かを知るにはさらなる考証が必要だが、いずれにせよ董其昌の言葉として知られたものである。柳を描くのは簡単で、ただ枝の分かれ目で「勢」を得ればよいと述べる董其昌に対し、惲寿平は柳が最も難しいといい、恵崇や趙令穣を手本とするよう主張している。他にも董其昌の同文に反応した言及がある。画柳は勢を得るに在り。然れども昔人すら猶ほ戞戞として之を難しとす。宋元諸家、尤も体を変ずること多く、相ひ踏襲せず、而して画法屢しば変じて益ます奇なり。妍を極め態を尽くすと謂ふ可し。恵崇・大年、時に新意を出す。(注14)ここでは、確かに董其昌の言う通り柳を描くには「勢」を得るのが肝心だが、古人もこれを難事とし各々が工夫を凝らしているという。勢を得るというのは形状に動勢を込めること、具体的には風になびく柳をそれらしく描くことであろう。惲寿平の送別詩や風景詩にも柳は頻出し、風になびく軽やかな姿や春を象徴する青々とした色彩、または冬の枯れさびたさまが描写される(注15)。董其昌「燕呉八景図冊」(上海博物館)〔図12〕にみられる「難しくない」柳は筆勢を込めるには向いていたとしても、惲寿平からみれば再現性への努力に欠けるものと映ったかもしれない。柳を柳らしく描くための宋画の工夫への惲寿平の関心は、時に精密で具体的な鑑賞録となって現れる(注16)。こうした柳を描く技法、それが表現しようとする柳自体への関心の結実が、文人画の技法を用いながら高度な再現性を獲得した「花隖夕陽図巻」の柳であったと考えられる。本作の柳は文人画の添景としては稀に見るほどの緻密さと柳らしい軽やかさをそなえ、彼の画柳の代表的な実作例と言うことができる。董其昌と惲寿平の根本的な思想傾向の相違は広く作品全体にも反映している。たとえば董其昌「秋興八景図冊」(上海博物館)〔図13〕は(注17)、山体や土坡の重層する構成、墨と色を連続的に用いる点描などの基本的特徴が「花隖夕陽図巻」と共通する。一方、董其昌画に常に見られる歪んだ水平線や景物の押し合う動勢表現は惲寿平画では退行し、むしろ平静な景観描写に転じている。最も異なるのは山水中の植物描写で、たとえば葦は、董其昌も墨と淡緑と代赭を重ねるが、形状を単純な線に簡略化し筆勢の表現に徹している。対して惲寿平は茎と葉を描き分け、それらが前後左右にどのような配置で茂っているのかをよく示している。点苔も、惲寿平の方が幹と葉の区別など対応する物体への意識が強く、画論にもこうした特徴に関連する言及がある―439――439―
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