鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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(注18)。この比較から、董其昌が古画を解体し引用した造形の諸要素を、惲寿平は自然への親密な視線のもとに再編成し、典型的な文人画の技法を用いながら新たな現実感を生み出したことが窺える。「花隖夕陽図巻」の様式的特徴は、渇筆や点描といった筆墨の効果を追求すると同時に、それらが現実の何物に対応するのかを強く意識し、特に植物モチーフの合理性に優れるというものであった。4、「倣恵崇」について柳に関する画論で、惲寿平は北宋の恵崇とその継承者・趙令穣に多く言及している。本作もまた、かつて見た恵崇画を追憶したというが、原図の特定はできていない。ただし、当時四王呉惲の間でよく知られた恵崇と趙令穣の作品は(伝)恵崇「江南春図巻」(北京故宮博物院)〔図14〕と(伝)趙令穣「湖荘清夏図巻」(ボストン美術館)〔図15〕であり(注19)、あわせて彼らの「倣恵崇」「倣趙令穣」作品〔図16〕を参照すれば、共通のイメージを抽出することができる。これらの画のモチーフとして、まず柳が必ず登場し、他には花咲く水辺、群れ集う鳥、雲煙に霞むなだらかな山などが挙げられる。「小景画」と呼ばれるこのジャンルは、主流の山水よりも身近で優美な自然景を重んじ、山水と花鳥の中間領域として北宋以降に展開してきた(注20)。「花隖夕陽図巻」は特定の古画を正確に模したというより、むしろこうした小景画の定型を下敷きにした可能性が高い。また、清朝の倣古山水画では古画の直接の転用だけでなく、文学や画史書といった文献の中で醸成されたイメージも大きな役割を担っていたと考えられる(注21)。恵崇の場合、蘇軾の著名な題画詩があり(注22)、惲寿平が小景画に題した詩にも蘇軾詩と同種の景観描写が見られる(注23)。一般に、秘蔵の古画よりも文字によるイメージの方がはるかに共有されやすいため、文人間の贈答においては特定の古画のほか、古画にまつわる文学の実感を伝えることも重要であった。春の暖かな陽光を思わせる彩色、葦の茂る水辺、川を遡る水鳥、咲き誇る桃花、そして小景画を象徴する柳という「花隖夕陽図巻」のモチーフは、こうした恵崇にまつわる文学と古画の中から選ばれ、江南の春景に歴史性を添えることに成功している。5、王翬との交友と花卉画への転向「花隖夕陽図巻」が制作された康熙10年前後は、惲寿平と王翬の生涯において際立った時期である。―440――440―

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