鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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注⑴古原宏伸「董其昌歿後の声価」(『国華』1157号、1992年)も、董其昌の才能を初めて疑った人物として惲寿平を挙げる。実際には王鐸なども先行して董其昌を批判しているが、惲寿平の批判は正統派内部から出たものとして重要である。は、清初における南宗画の変容と拡張に寄与した惲寿平の独自の目線が強く反映されているのである。付記本稿を成すにあたり、京都国立博物館の森橋なつみ様には作品調査にご高配を賜りました。ここに記して深く謝意を表します。⑵「及見虞山王石谷、自以材質不能出其右、則謂石谷曰、是道譲兄獨步矣。格妄恥為天下第二手、於是舎山水、而学花卉。」(張丑『国朝画徴録』巻中、『画史叢書』本)⑶蔡星儀「惲寿平的絵画芸術」(『中国書画』2016年7期)。⑷惲寿平山水画の変遷過程については楊仁愷主編『中国書画』(上海古籍出版社、2003年)。また、沈俊「惲寿平山水画研究之研究」(『美与時代(下)』2009年8期)は研究史をまとめ、惲寿平の山水画に注目する必要性を主張する。⑸「曩於半園唐先生家、得覩恵崇花隖夕陽図長巻。明媚秀逸、生趣逼人耿耿。横於胸中者数載、今澹菴先生索画、遂擬一角請教。辛亥秋日、毘陵惲寿平。」(惲寿平「花隖夕陽図巻」自題)⑹「白雲外史花隖夕陽図真迹神品。」(「花隖夕陽図巻」題箋)⑺西上実「惲寿平筆 花隖夕陽図」(『国華』1404号、2012年)は香港個人蔵の別本の存在に言及し、画はかなり降る模本としつつ、そちらには複数の跋文が付属していたことを報告している。⑻蘇浩・邱吉「1911年羅振玉旧蔵書画售入日本始末及其影響」(『故宮博物院院刊』239期、2022年)。⑼「以径之奇怪論、則画不如山水。以筆墨之精妙論、則山水決不如画。」(董其昌『容台別集』巻4、『四庫全書存目』本)⑽「今人用心、在有筆墨処。古人用心、在無筆墨処。倘能於筆墨不到処、観古人用心、庶幾擬議神明、進乎技矣。」「筆墨本無情、不可使運筆墨者無情。作画在摂情、不可使鑑画者不生情。」(惲寿平『甌香館集』巻11、『叢書集成』本)⑾「柳最不易作。宋以上無論風流古澹。吾愛恵崇大年、毎画柳必以為規矩。」(『甌香館集』巻12)⑿「宋人多写垂柳、又有点葉。柳不難画、只要分枝頭得勢耳。点柳之妙、在樹頭円鋪処、只以汁緑漬出。又要森蕭、有迎風揺颺之思、其枝須半明半暗。又春二月柳未垂条、秋九月柳已衰颯、倶不可混、設色亦須体此意也。」(『容台別集』巻4)。⒀「嘗云、画工不画柳、画柳便粧醜。非柳難画也、多因欠工夫耳。宋人多写垂柳、又有点葉柳。垂柳不難、只要分枝得勢。点葉柳之妙、在樹頭円鋪処、只以汁緑漬出。又要蕭森、不結滞、不板実、有迎風揺颺之意。又蚤春柳未垂條、深秋柳已衰敗、不可混。設色亦須体此意。」(唐志契『絵事微言』巻下、『四庫全書』本)⒁「画柳在得勢、然昔人猶戞戞難之。宋元諸家、尤多変体、不相踏襲、而画法屢変益奇。可謂極妍尽態矣。恵崇、大年、時出新意、此図倣之。」(『甌香館集』巻7、『翠琅玕館叢書』本に従い「画―442――442―

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