鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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1648年にカルロ・リドルフィは「歴史を表したとみなされている女性と、彼女に羊皮紙写本を手渡すクピド」と言及した(注10)。1674年にマルコ・ボスキーニは「書物を持つ女性とプットーを表したティツィアーノによる見事な作品」と述べた(注11)。1815年にモスキーニはこの女性像を知恵の擬人像とした(注12)。それ以来この解釈が広く受け入れられてきたが異説もある。1968年にシュルツは、月桂冠、巻物、書物というアトリビュートから最適なタイトルは「知恵」とした(注13)。1968年にイワノフは有翼の幼児が支え持つ長方形の物体は書物ではなく、知恵のアトリビュートである鏡であるとし、本作品を「知恵」とした(注14)。そしてクアドラトゥーラは『旧約聖書』の「知恵は家を建て」(「箴言」9,1)(注15)を表すとする。1986年にヒルテは「歴史」(注16)、1987年にゾルツィは「神の知恵」(注17)、1990年にホープは「歴史」(注18)、1992年に再びヒルテは「歴史記述のムーサ」とした(注19)。1996年にリッカルディは、『旧約聖書』に「知恵は永遠の光の反映、神の働きを映す曇りのない鏡」(「知恵の書」7,26)とあるように鏡は「神の知恵」を表すが、本作品の女性像自体は「人間精神の擬人像」とした(注20)。その理由は図形の持つ象徴的な意味で、本作品が八角形─永遠、無限や神の完全性を意味する円形と、時間と空間によって限定される地上界や人間界を意味する方形との中間の形状として、人間行為や天へと志向する地的な物体と解されていた─だからとする。2001年にローザンドは積雲の玉座が『旧約聖書』の「わたしは高い天に住まいを定め、わたしの座は雲の柱の中にあった」(シラ書24,4)を表しているとし、女性像を「神の知恵」の擬人像とした(注21)。2002年にシウトは「賢明」とした。その理由は1670年に出版された『都市ヴェネツィアの絵画』で、フランチェスコ・マチェードが玄関ホール入口の扉の両脇に置かれた2本の見事な捻じれ柱に注目し、その螺旋形が蛇を想起させ、蛇をアトリビュートとする「賢明」の座所へ入ることを予告していると述べているからとする(注22)。だが確認したところ、マチェードは玄関ホールの天井画には何も言及していない。また彼は入口の鉄製の扉は粘り強い努力によって「知恵という金」が得られることを表しているとも述べている(注23)。その後2008年にクリシェルは1509年にラファエロがヴァティカンの「署名の間」の天井に描いた《神学》との類似から本作品を「神の知恵」とし(注24)、2023年にホープは再び「歴史」とした(注25)。私は本寓意画の女性像は知恵の擬人像であり、タイトルは「知恵」であると考える。そのことを以下の新たな観点から検証する。―36――36―

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