■鑑貞画と周文派・阿弥派目下、鑑貞画の現存作例について編年はなされておらず、先述の通り年齢書を伴う明確な基準作もない。ただし「クリスタルな岩」などと形容される、硬質な輪郭線に添えて薄く湿潤な墨線を幾本も強く斜めに引き下ろして形作られる透明感ある斧壁皴、平行線や直角の多い幾何学的な形態感覚など、山水表現についてはメリハリの効いた個人様式をもち、東京藝術大学ほかに分蔵される山水図群や「春夏山水図屏風」(九州国立博物館蔵)などを代表的な優品とする。一方でさらにこの筆触や形態感覚を示しつつ、粗荒さや未熟な筆技が目立つ作例として「瀟湘八景図帖」(大和文華館蔵)〔図7〕がある。これは八景の描き分けが不明瞭で、重複する場面があるほか、楷体画6図に草体画2図という不均衡な構成をとる。また「山水図」(藤田美術館蔵)もやや描き込みの密度が少なく、筆線や点苔表現に若干の粗さや未整理さを残し、ひとまずこれら二点を比較的早期の鑑貞画と捉えてみたい。このうち前者の大和文華館本は、冒頭に触れた「蜀山図」(静嘉堂文庫美術館蔵)の近・中景や、笠雲等連賛「山水図」(東京国立博物館蔵)〔図8〕などに共有される周文系山水図の直模的な図のほか、祥啓「真山水図」(福岡市美術館蔵)や興悦「山水図」(神奈川県立歴史博物館蔵)〔図9〕をはじめとする祥啓派(恐らくはその源流にある阿弥派か)が定型化する、弓なりに強い弧を描きながらオーバーハングする大岩とその上に立つ2本の主木のモチーフ群も含んでおり、先述の楷・草体の混在とあわせて、複数系統の山水図様を集成した習作群のような性格をもつ。特に鑑貞画における阿弥派の影響については、鑑貞印を捺す「寿老人図」(個人蔵)〔図10〕が寿老人の丸顔の結構や横向きに立つ侍童の図、画面右下の小さな夏珪様の岩の皴などに阿弥派の影響を顕著に示すこと(注18)、また所在不明の森本善七氏旧蔵「山水図」(『國華』346、1912年)〔図11〕の近景にみてとれる、祥啓「梅渓図」(静嘉堂文庫美術館蔵)を思わせる強い弓なりの屈曲や真円形の点苔の強調などと併せて考えるべき問題だろう。具体的にはより精査して検証する必要があるが、筆者は、鑑貞が様式形成にあたって阿弥派の造形を相当取り込んだ可能性が高いと考えている。源流の異なる図様を広く摂取した点で恐らく京都での学習体験が下地にあったとみておきたいが、楊月同様に詳細は分からない。なお森本氏旧蔵本は現存が確認できないが、もと瀟湘八景図対幅の右幅であったと思しく、恐らく左幅にあたるものが近年現れた〔図12〕(注19)。簡潔な構図の小品の多い鑑貞画のなかでは豊富なモチーフを整理してよくまとめあげた大作で、両幅とも淡彩の冴え、描き込みの稠密さが目をひく画業充実期の優品である。先述の通り、森―453――453―
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