鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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注⑴大西廣「99蜀山図」解説(島田修二郎・入矢義高編『禅林画賛』毎日新聞社、1987年)など。なお周文自身は南都との接点をもち、達磨寺(奈良県王寺町)における達磨坐像の造像に関わったほか(像内銘文)、足利義教の命による京の東山雲居寺の大仏造営にあたって奈良仏師と共同作業を行っている。でこまめに支えていたのだろう。ちなみに大和の水墨画人としては、やや降って16世紀中頃から桃山時代にかけて父子3代で活動した山田道安が名高く、「山水図」(根津美術館蔵)など鑑貞画を彷彿とさせる簡潔な構図の夏珪様山水図もある〔図14〕。ただし作風の振幅が大きく、各人の様式を抽出して他画人と比較する上で解決すべき問題点が多いため、ひとまず今は検討の俎上から外しておく。⑵藤原重雄「『大乗院寺社雑事記』に記された『天下絵所』」(『東京大学史料編纂所附属画像史料解析センター通信』22、2003年)髙岸輝「応仁・文明の乱後の文物復興と土佐派・狩野派」(同氏『室町王権と土佐派』京都大学学術出版会、2004年)⑶『松下集』文明2年条、『大乗院寺社雑事記』文明3年8月5日条⑷『大乗院寺社雑事記』文明9年10~12月後付山下裕二「能阿弥伝の再検証」(『明治学院論叢』612、1998年 ※同氏『室町絵画の残像』中央公論美術出版、2000年再録)⑸この時期の南都には、春日社造替にあたって三条家などから春日社に寄進され興福寺唐院で管理することになった「四補一対絵曜卿之筆、外題ハ能阿自筆ニ沙汰之揮之、是ハ公方之御物」(『多聞院日記』文明16年4月11日条)など東山御物を含む唐物も少なからず持ち込まれていた。多聞山城の狩野派障壁画については鷲頭桂氏の論考を参照。鷲頭桂「16~17世紀欧文史料にみる日本の絵画受容」(『鹿島美術研究(年報第37号別冊)』鹿島美術財団、2020年)⑹『言継卿記』弘治3年2月28日条大石利雄「式部輝忠と駿河今川氏(1)」(『群馬県立女子大学紀要』31号、2010年)⑺現存本としては春日大社本、現光寺本(木津川市)などがある。河原由雄「39春日地蔵曼荼羅図」解説(『奈良市の絵画奈良市絵画調査報告書』奈良市教育委員会、1995年)『木津川市美術工芸品調査報告書第1集現光寺・大智寺資料調査報告書第一冊・第二冊』木津川市教育委員会、2023年⑻「185春日名号曼荼羅」解説(『春日大社のすべて』展図録、奈良国立博物館、2018年)伝承では山田道安筆とする。大小の節瘤をつけながら輪郭をとる松の根の形態把握や、毛足の長い柔らかな焦墨による松葉の表現に、同時期に全国で量産される白衣観音図群の樹木表現などと共通する水墨技法を示す。⑼田中一松「宋画様式の蓮池図について」(『國華』679、1948年)⑽号和玉、薩州人、居城南笠置寺、世称笠置楊月、師周文雪舟、墨尽学牧渓、能画山水人物花鳥、筆法大祖、然有柔潤之体、印文曰臣僧楊月(『本朝画史』)。―455――455―

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